暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

幸せとはなにか|初秋を感じる

 


今の自分の人生をどう捉えているのだろうか。
よく考えてみれば、最近はあれこれ複雑に考えすぎて自分の人生という枠からはみ出して考えていた様な気がする。

 

どういう人生を送るも、自分自身で捉え直してみれば、今ある人生も自分自身である程度決めて選択しているひとつの道だ。いい条件というのはなんとなく自分の中で決めていて、その条件をどう受け入れて、工夫してなるべく楽しく生きていけるかが、大事になっている気がする。要は、捉え方なんだろうな、に結局たどり着く。

 

誰かの人生は誰かにとってはいいものであるかもしれない。それでも、それは見せかけでもあるかもしれない。その人も必死で生き、耐え抜いているだけかもしれない。幸せとは何か?は、どう定義するかもそれぞれであって、誰かとの人生を比較している以上、そんな気持ちが湧き上がってくることもあるのは、時と場合によって致し方ない。

 

それでも、考えてみれば、自分の人生そのもので起きていることである。だから、後々考えてみればいい経験ををしたし、考え直すこともたくさんあったよね、という結論に至る。

 

ひとつの自分自身で考える今であり、最善の方法を考えたり、改善したりして探している。
そして、自分にこう言い聞かせたい。
これは、間違いなく、自分の歩んでいる、歩んでいく人生だ、と。

 

 

作家によって書かれた言葉は、読む人間の力添えを必要とする。読者が想像し、目を見開き、耳をそば立て、文字の世界に没頭することを求める。

-アニー・ディラード/本を書くより

最近は、聞いてもらうでのではなく、聞くことを意識する。書くときには、没頭する。自分の言葉で書き、孤独であることについて。

書くことについても、現実から逃げ出したいこともあるかもしれない。それでも、その一場面でさえも、間違いなく自分が生きている証なのだと思いながら書く。

そう、今日見た動画も、ここ最近問う“幸せとはなにか?”について、少し考えられた。

 

最近、さつまいもがおいしい。母からもらったものだけど、このさつまいもの品種がとても気になるほど口当たりも甘さも、ちょうどいいせいか、今年のさつまいもがおいしいという印象になった。
おやつは控えているつもりだけど、こういう優しい素材のものはお腹に入る。ごく自然に。


子どもたちの縫い物をしたり、会話をしたこともたのしかったり、庭仕事をして少し癒されたり身体がみなぎったり……。こうして記録を続けてきて、blogのアクセス数や読者が増えてきていること、そして紹介した本やモノが購入されること。
通り過ぎてく日常の中に、私なりの発見はある。

何に意味を持って人生を送るか。
続けるか……
果てしなくありそう。