暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

おもしろい本、最近の生活観

 

 

 

 



 

お気に入りの本を何冊か、その日の気分や心境に合わせて行ったり来たりさせて、読む。珈琲をテーブルに置きながら、本を開くと、あれこれ考えが浮かんでくる。いろんな考えに惑わされながら、家であれこれしながら読んでいると、時間はあっという間に過ぎていく。

 

集中する時間はあっという間だ。それの伴って苦痛に感じてしまう時間もなんとか集中する時間に変えてみることは、少なくとも個人の中で、よい時間に変わる。

 

 

 

最近は、アニーディラード著:「本を書く」が読みたくなる。

 

 

ちょっと気になる文章を繰り返し、くり返し読み返してみて、少しずつ少しずつ、考えを凝らしてみる……。すると、少しずつ頭の中が自然と渦を巻いてきて、次第に心がジーンと温まってくる。そして、ぽろぽろと思いが溢れ出てくる。その中から、考えをぼんやりと見出し、自分の中の美を見出す。いろんな本を読んで、学んで、みて、経験して、考え直してカタチ作られてくように、思い出しては、また忘れ、また思い出す……そんな記憶の片隅にあることが変容を繰り返す。そうして、少しずつ自分と向き合うようになっていく。

 

そんな瞬間がおもしろい。感慨深くなる文章は、何度読んでもまた新しく感じる。その本の文章には、個人の世界観、個人だけが愛する時間がある。それがまた、心地よい。

 

「言葉は他の言葉へと導き、庭の小道を下る

」──

 

 

「書くとき、あなたは言葉を一列に敷く。並び置かれた言葉は坑夫のつるはしである。彫刻家の丸のみ、外科医の探り針である。あなたはそれを駆使して道を敷き、その道をたどる。しばらく行くと、自分が新しい領域にいることに気がつく。そこは行き止まりだ。いや、それとも手堅い主題を掴んだのか。それは明日わかるだろう。いや、今回は来年にならなければわからないかもしれない。」

 

 

 

──最近はとくに、この本のこれらの文章この前後にある解釈を読み返すことが、気に入っている。

 

 

この本にしか書かれていないおもしろい言葉は、他にもまだたくさんある。こういう本は、いつまで経っても読み終わる気がしない。

 

 

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消費するものをどうせ捨てるなら代用品として使って一役立たせてから捨てるようにしている。牛乳パック、ヨーグルトのプラスチック容器、買った時に包装された袋などをそれらに使用してからのこと、キッチン周りに使う処理用袋は、購入うする必要もなくなり、ストックも貯まっていくようになった。

 

牛乳パックはだし汁用として一回使用してから捨てるか、ボウルか鍋に浸しておいて、そのまま使用する。そうすると、わざわざ別の容器を買う必要もない。

 

 

ここ最近、ゴミ捨てが週1に減る日も出てきた。洗い物もゴミも削減すると、何かを我慢して、節制した後にあとで他のものに替えられるということは、気分も満たされる。そんな思いで、過ごしている。

 

 

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韓国の友人への手土産を選んだ。

お気に入りの店や、雑貨屋に向かうとどうしても物欲が出てしまうけれど、よくよく気をつけたい。部屋に飾って見た目も実用性も兼ね備えなければ、買わないようにして。

手に取りやすく、かつ、見た目もオブジェみたいに生活に馴染んでいくものがいい。

 

長年愛せるものが揃っていくことは、それなりに自分の生活観が整ってくようにも感じられて、心底心地がよいものだ。気にいるインテリアであれば、そのものがたとえ置いてあるだけでも、まるで頭の片隅に置いてあるような大事な価値観であるようなもののような気がしている。