次男が誤って落としてしまった若いレモンと、ローズマリーと家でできたカレンデュラと。 ハーブたちは軽く煮詰めて、お砂糖、レモン果汁を加えれば完成だそう。子供たちのおやつの時間に。私は糖質オフを試みているので、なるべく飲まないようにしていますが、たまに欲しくなる ときに。
味も爽やか〜美味しくいただきました。
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誰かの考えるようなものと似ている考えを持っている、共感できる、斬新さがあることは、相反するというわけでもない。結局、色んな意見が飛び交う中で、自分にとって良い本というもの、自身にとっての生きやすさに合うような本を選んでいる気が。人気がある本が、誰にとっても良いとは限らない。
“誰かに読んでもらいやすいように”と書いてあるよりも、“誰かにとってはものすごく響く”ような文章。
少なくとも、そんなものが私は読みたくなる。
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“隣の芝生は青い”というけれど、よく考えてみれば、人の持っているものが良いところだけみえていて、果たしてそれがほんとに自分の幸せのカタチなのか、と問われると、そうにはならない気がする。
今日一日を、改めて振り返ってみたら、なにはともあれ、うん、窓を開けて自然の空気を入れ替えて過ごしてみれば、それだけでいい一日だと思える。
そう考えてみれば、やはり気分が大事にも思える。自分自身の生活の一部に感じる良い面だけを愉しんで、癒されていくこと。
生活充実させるということは、あれこれ求めるということでもなく、ストレスなく幸せに暮らせるように、自分自身に見合わない負担になることをやめる。生活レベルを上げないことなんじゃないか、と思い始めている。
月一、二の本を買うこと。Netflixで鑑賞するか、SNSで好きな人を覗くこと。身近にいる大切な人と関わったりすること。食べられること、よく眠れること。最低限そんな日々があれば、満たされるような気がしている。
それでも、最近出費が多いんじゃ?と言う気がしていて、もう少し節制しようと思っている。ちょっとの瞬間、瞬間に、お金は使われ続けている。お金を消費して経験になる、満たされる幸せもあるのだけれど、実際に実用的になってることって、少ないんじゃないかと思ったり。
結局、あらゆる物事はそれはそれ、これはこれでもあり、あらゆるタイミング、偶然が重なって起きることでもあるだろうし、良しも悪しも、その後は自分自身で考慮して最善を選択するしかないものであるだろうし、考え方次第でもあるものでもあるし……
物事のあらゆるすべてを悲観的に繋げて考えてしまうことはせずに、冷静に“そのとき、そのときをどう生きるようにするべきか。”
そんなことを考えながら、ちょっとずつ改善してみる努力が必要だ。変えてみれば、少しずつ意識から習慣へと響いてきたりする。少なからず、そう思ってきている。
良くも悪くもわからないけれども、それでもそれなりに書くことで消化できている。そんなふうに書いてくことが大事だったりする。日々の気分転換のために。気分よい方へ生きてくために。
書くこともそうして。日々書いてみている最中…*
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