忙しいほうが、日常の暇をいつ確保するか、その大切さが感じやすくなったりする。あえて忙しくするほうが、余計なこともしなくて、考えもしない。
朝、または午前中は、なるべく携帯をさらわないようにした。一日は計画的にし、やるべき事をこなしてから、そして暇だとしてもSNSは昼、夜にまとめて見るようにする。たとえ休みだとしても、余白を作る時間だとしても。そうすると、一日が非常に有意義に感じる。
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珈琲は部屋のどこでもよいしょ、と腰掛けたくなったところで座って飲んでしまう。地べたで座るのがたまらなく落ち着いて、その体勢だと、物事が自然にはかどりやすい気がしている。外の明るい方向を眺めながらすると、なお良い。ぼーっとする時間が意識的に思考の再整理が働くと言われているけれど、まったくその通りだと実感する。本を読む時もそうしている。
そういうときが、決まって私の憩いの時間にもなり、慰めの時間にもなる。
さて、いま読んでいる本も、自分自身になんとなく当てはまる気がする内容ばかりで、面白く読んでいる。
最低限の道理をわきまえ、他人に迷惑をかけない範囲で、最大限に世間と距離を置いて生きている。……こんな生き方をしていていいのだろうか?夜に眠りにつく前に自問自答してみるが、朝になってまた日が昇れば、また気楽な孤独を選んでいる。
クォン・ミナ「ひとりだから楽しい仕事」より
この一冊の文章たちは、同じ孤独に生きることを選びがちな人間の複雑さ、安心感、時間の使い方、生きやすさなど、私の心を代弁してくれるかのようでもあり、内心大いにほっとさせてくれた。文章を書く者好きにはたまらない、読んでいて心地よいほかない、と言ったような本。まだまだ読んでいくうちにまた違った視点が出てきそうで、楽しみである。
いいねを押してくれた人の記事や偶然みかけたものを読んでは、参考にしたりもする。読んで込み上げてくるものは、自然に思うことが生まれてくるもの。とくに、日常についての細かい描写とかではなく、心情ついて書かれたもの。そういうあらゆる意味ではっきり書かれていないものほど、おもしろく読んでしまったりする。
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夫が帰ってきてからのこと、やっぱり快適だなあとつくづくおもう。子供たちも父親という存在を身近に感じて、自然と吸収することもあったりして、余裕も生まれている気が。
そんなとき、母親であるわたしにできることは少ないよなあ……と思ったりもするが、それでもなんとか父の不在を埋めるかのように家族3人でふだんは生きている。
それでも、夫が常に居ない日々だからと言って、子供たちが毎日お父さんに会えないからといって、役割が増えるからと言って、大したことではないよね、と思いながら、夫や子供たちに日々支えられているよなあと実感しながら、懸命に今という日々を楽しもうとしている。
実際にこういう環境になってからのこと、メリットも感じている。
できないなあと思っていることも、自分でやるしかないよね、と生活のために必要なことはやるようにもなれば、腹をくくったりもして、決意もする。
それと同時に、自然と変に無理なこと、億劫なことも浮き彫りになってくるようで、別にやらなくてもいいよね、ということも取捨選択しながら、やらなくなってきたりしてきている。こういういまの生活スタイルは、要所要所で問われることも多く、新鮮な気持ちになる。
そして、いつも気が変わったように生活習慣が変わったり、新しく追加されていくことが面白かったりするときには、不思議とやりたいことも増えるものだったりする。