さて、読みたいその時々の旬の本は、まったく代わる代わるもので、さまざま。
その中でもお気に入りの殿堂入り的な本は、あまりゆるがなかったりする。
過去の自分と比べてみても、まったく理解できないような感覚にも陥るし、それでも比べようにもならない。今は今、過去は過去、といったような、割り切った考え方もできるようになるようにもなる。
考え方も変われば、好みは変わる。それでも、抱いている理想的なものは変わらない気がする。読みたい本も理想像の中へ……
そんなふうに読む本も変わっていくのかな、と。
わかるのは、そういう孤独に考える時間がとても好きだったりするということ。
───
韓国の友人から小包が届いた。私の誕生日だということで。
中身を開けた瞬間、忙しいさ中にも懸命に考えてくれた気持ちが伝わってくるような内容だった。
友人は、いつも本好きな私にオススメの韓国本を毎度送ってくれる……なんとありがたいこと。
という私も韓国エッセイ好きで時々物色しては読みたくなるために、どうしても読みたい本を友人にお願いしてしまったということもあるのだけれど、友人はそれでも私が本好きと知っていて、快く受け入れてくれた。そして、本が届いた。
いまは、こうして韓国の教保文庫にあるらしいルームフレグランスのいい香りに包まれて、友人が読みたかった本を送ってくれたことに浸りながら、ずっと読みたくて携帯の画面から覗いていた本が目の前にある現実……
なんといい気分だろうか。お気に入りの部屋の中には、まるで新しい時代が吹き込んだ気分。私の中の理想的な思い出が詰まってくような感覚。
もしかすると、このまま毎度本をお願いしてしまいそうな気が……
もしかして、韓国本棚ができるかな??なんてなんだか勝手にそんな想像をすると、幸せな気持ちになってしまった。……おっと。
さて、やはり海外文学を読むことはおもしろい。
感性的なものが国によって現れ方がちがうものだし、その部分に魅力を感じてしまう。
また、翻訳の仕方で読みたくなるか、読む気がしないかになってしまう気もする。
言葉のニュアンスはやはり、大切に思ってしまうけれど、それもまた、国境を越えて似たような思いが紡がれているような感覚にもなる。
さて、韓国の友人に頼んだ本「明朗な隠遁者(명랑한 은둔자)
」に書いてあった、お気に入りの一節。
贅沢なことだよ!友達は私が一人で働く小さくて端正な作業室を聞いてみた。私一人以外には他の人が入る余地もない部屋だけど、そこには私が働いている間に私の袖を引っ張る人がいないし、邪魔する人も、集まりや会議に行こうと引きずり出す人もいない。どれだけ楽だろう!友達は結婚して、フルタイムで働いていて、幼い2人の子供の母親だ。最後に一人で夜を過ごしたのがいつだったか、這いもしないって言ってた。私で言うと、一人で夜を過ごせなかったのがいつだったかよく思い出せない。友達はつぶやいた。いつも一人でいるなんてどんなに楽しいんだろう。
ソクハンパーティーで、部屋いっぱいの25人の人たちの中に週中に参加したパーティーで、部屋いっぱいのスプン5人の中に立っても孤立できる。孤立したと感じられる。それは逃げたい気持ち、距離を置きたい気持ち、私が外見の向こうではなく恐れているのか、あるいは問題だらけなのか、誰も知らないようにするために障壁を立てて、その裏に隠れたい強迫と関係した感じだ。
……ああ、よくわかる。
子育てをしていると、ある意味周りからのしがらみから解放できる時間も確保でき、そのおかげで、随分と自分自身の人生について内観することができた。
それでも、子育てをしていると、ひとりの時間もときにはむしょうに欲しかったりする。けれどもそれも結局、つかの間。しばらくの間一人で過ごしてみると、なんだか最近は一人は寂しかったりもすることに、気づかされる。
良い意味で社会との強調性も持ちつつ、良い面での風潮みたいなしがらみも良いものだったと思って。
そういうバランスが常に問われる気がする。
結局、なにかをできるようになるために考えたり、知っておくことは、役に立つと思えるし、尚、一人でできることを増やしておくと、いい。
いま現在、そう思ったりするところ。
ある作家はこう言っていた。
「私的な空間が十分だが持続的な交友がある」状態だ、と。
私の空間といえば、田舎の小さな家という形で実現されていて、家族と小規模の親密な友人で満たされていく。日に日に、そんなような気がしてくる。