暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

絶賛、読書日和。<リルケの芸術人生>

相変わらず、リルケの芸術と人生に読み暮れている。

あまりにも感銘を受ける印象的な文章が多くて、何から何まで手をつけたくなるようで、爽快な気分になりつつ、思考が追いつかなくなりそうになる。

それほどおもしろくて、個人的に理にかないそうな気がしている箇所がたくさんあるからだろうと思いながら…。

 

リルケの文章を読んでいると、外側から受ける刺激と景色と感情は、内側に宿すには変換が必要に思えてくる。個人の感情を決して外側と一緒にはしないように、個人の部屋に大切に保管して、境界線を引いておくこと。
こういった割り切った感情は役に立つと思えてくる。

 

そういうわけで、まだしばらく読み老けて考えたくなる時間は、終わりそうにない。楽しい時間。

このように、ちょっと頭の中をクリーンにするように書く瞬間が1番好きだったりする。

 

ある作家が、
「書く作業は孤独である」と言っていた。
こうして書いてみると、その意味がなんだか如実に感じられてくるような気がしてくる。

 

書くことはとりとめのないことをわかりやすく個人的に言語化していく作業だ。だから、いいとおもったりする。

 

実際に誰かに話せることは当たり障りのないことでもあったり、考えて話す必要があったりする。けれども、実際に内心にあるものを吐き出してしまうことはできかねない。
きっと理解することも難しいであるだろうし、誰かに話せることでなかったりもするだろうから……。

 

いつも思うのは、気になることや好きな部分に対しての創造性は自由な気持ちになって、あらゆる考えが浮かんできやすいということ。
同様に、苦手な部分や負担に感じるところもこの気持ちを活かして、どうありたいかで持っていくようなものである気がする。
その日常のバランスが、すごくむずかしかったりする。

 

その点、本を読んでいると、自由な気持ちになる。

「……一体、どういう生き方をしてるの?」と思わずにはいられない。それでも探りをするのは自由であったり、その人から語られる言葉、姿勢というものから漠然と込み上げてくるものが感じられること。そういう真新しくて、それは漠然とした中にも個人的なしっかりとしたコアな世界観がある。そんな気持ちにさせてくれることが好きだったりする。

 

明らかにわかるのは、芸術肌の人の本を読むのが好きだということ。
そういう人の日常の視点は斬新さや滑稽さがあって、読んでも読んでも出口がなくて、けれどある日読んでいると、少し景色が開けてくるような、足取りを軽くしてくれるような瞬間にもさせてくれる。そういう面白しろさがある。個人的な役に立つような規範となるようなものが。

 

とにかく、読書には終わりがない気が……
ときに、一冊の本を読むことも終わりがなさそうになる。
今読んでいる、リルケの「芸術と人生」は、まさにそんな気がしてならない。