人工的な香りはやはり苦手で、思わず頭痛がしそうなほどになってしまう。そう、改めて感じた日だった。
それに比べて、子供たちの汗かいたにおいや大地の恵の香りは、たまらなく癒し効果があって、気が軽くなる……
いつも甘えてくるまだまだ可愛い盛りの男児の匂いを近くでついついクンクンと嗅ぎながら、二人の頭を撫でてしまう。
「さあ、こうして過ごせるのは、一体いつまでだろうか?」
そう考えると、今がほんの一瞬のように思えてきて、むしょうにこんな日々が愛おしくなってしまった。
さて、今日はちょっとした合間に読書を。
近頃、改めてリルケの『芸術と人生』が気に入っている。
はじめは自分自身の中であまり響いてこず、解読に難があったりした。それでも、なんとなく感じることがあって、ふと手に取り読みたくなる本だった。
けれど、いまその読む面白さがじわじわきている。
また数ヶ月先に読んでみたら、まるで自分自身に必要なことのように思えてしまうものだし、本とは、……まったく不思議なもの。
さて、なんでこの本に複雑さが芽生えたのかと考えてみると、たぶん感性に触れる文章を読んでいるからこそ、作者の考えて述べる言葉の数々の重みや奥深さ、背景、そして若干あるテーマについてが、理解しずらかった部分があるからだと思う。
(……まあ、いまもまだ自分の中で理解も深まるまでに、時間がかかるような気がするけれども。)
今日も偶然“ゴッホ”、“モネ”の絵画をみかけたのだけれど、リルケの本にも、『ゴッホ』について書かれている章があった。それを読んだら、なんだかゴッホの素晴らしさについて理解が深まるようだった。
なんだかゴッホの絵には心に感じるすごさと、風景のリアルさ、美しさ、複雑さ、孤独感、人生の儚さ──が感じられる気がする。
ゴッホとモネ──それぞれ別の美しさがあるけれど、感じ方はどこかなんだか似ている気がする。
でも、その印象のもっと奥深さみたいな理由はわかるような気がしない。
理解することはすぐに出来なくても、また新しい考えが浮かんでくるように理解したような気にはなるもの。そんな瞬間に要するまでの、時間みたいなものかもしれない。
こういう芸術に触れて考えることをしていると、夢中になれる。
こんな時間があれば、人生のどうでもいい考えなんて吹き飛んでしまいそうで、どうでもよくなりそうな気がする。
……よし、ゆくゆくはいつか絵画を飾ろうかな。そう思った瞬間だった。
そして、今日偶然に井上陽水の「少年時代」という歌が流れた。たしか幼い頃からなんとなく心地よくて聴きたくなっていたなあ、と。
改めて聴いてみると、やはり音楽の抑揚、歌の歌詞とメロディーの同調感がすごい。まるで語ってくるかのような歌に聴こえる。
これまた芸術というのじゃないのかな、と思ってしまった。……いつ聴いてもいい歌。
そんなふうに偶然見かけた美しさについて、感じることが多いような気がした。