自分自身の内なる世界観をつくる、守ることはむずかしいもの。
言葉の使い方、話し方でも、想いの届け方を考えなければ、思っていたようにと違うニュアンスで届くようなものになってしまう。人間関係、生活の核になる人生そのもの。そして、ここで書く場合も。“どこに届けたいか”も人生をシンプル化して生きやすくするために、あえて絞る必要がある。
その微調整で実感することがあってこそ、初めてしっくりくる経験値にもなってくる。
それは自分自身の思い込みや、偏見や思考が作り出す物でもあるだろうけれど、それもまた自尊心としても大切なこととして保っていかなければならない。
そういうバランスを見極めて生きていかなければならないのだと、日々思う。
生きる姿勢も向かっている方向が違うなと思えば、向かう方法を捉え直したり修正してみなければならない。
「あれ?なんか最近生きづらいなあ」と思うことがあれば、“自覚して、実感して、受け入れて、見直す。”
人間の心ってのは「痛みをなくそうとすればするほど拡大される」ようにできてるらしい。……ああ、今こうして書き綴ってみながら整理していると、よくわかる。
あと、幼い頃は深く考えずにとりあえずやってみるからこそ分かることもあった。けれども年を重ねていくと、段々やらない方がいいことが分かってくるような気がしてくる。
「こうしてみたって、あまりいい気はしないだろう」というような行動パターンみたいなものが。
友達100人できることがいいわけではなく、生きていく上で、それくらい出入りしたりして、ほんの少し日常を共有し合える友人がいれば十分だということも。
少なからず、私はそういう派だ。
多少嫌なことがあってもその他支えになること、人たちが少なからずいれば、何とか乗り越えていけるような気がする。それが、人生の幸せや救いにもなる。
あと、個人の創造性を高めるには、
以下の4つの方法が効果的という研究結果もでているらしい。
他人の新たな発想に注目すること」
「挑戦的な行為に取り組むこと」
「知識の幅を広げること」
「刺激的な人々や場所と交流すること」。
これも、結論的には、自分自身に合った環境の中から選択していくことが必要なのかな、と最近はよく思う。
気が散るような状況、気を休めるような時間。最近はこの緊張感とリラックスモードが適度に交錯するからこそ、何をどう改善していけばいいのか生活習慣の見直しとそのバランス、対策が分かるような気がする。
こうして書いてみると、「ああ、そういえば、また人生難解モードになってるんだなあ」と改めて自覚する思いになる。おっと。ちょっと考え方がよくなかった。個人的な幸せな日々を過ごしていること自体をわすれかけていたんだなあ、と。そんなことを思った次第です。