初めて会う人でもなんとなくその人の感覚的なものがわかるとき、似ているものがある気がするとき、合わせようとしているものも混ざっている。そんなことを感じられるときがすごく好きで。
本を読んだり、誰から聞く言葉は、自己認識したり、自分の調子を感じ取れる、内省する時間であって、自分自身と向き合うために必要な時間。
自分の感動したこと、好きな日常を写真で撮影するときのように、言葉も味わうように考えて書き並べていくこと。 ──それは、自分らしさを感じられるものを、敏感に察知する作業に思える。
そういうことを理解しつつあるようで、実際のところ変容していくものだから、いまだに進行形で探し続けている。
それはまるでバターのように、ぐるぐる混ざったり、何かを混ぜたり、固まったり、においがしたり……内面にある感覚的なもの。感じ方、理解の仕方、あるいは表現の仕方を。
「私はあなたに理解させることはできません。自分の中で何が起こっているのかを誰にも理解してもらうことはできません。自分でも説明できないよ」-フランツ・カフカ-
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あとの人生のことは想定しずらいため、あまり考えていないのかも、とおもう。
ただぼーっと自然の景色を眺める、本を楽しく読む、珈琲をのむさまだけは、頭の中でも自分自身の大切な瞬間だということは、容易に想像できる。
……きっと、続けていたいことなのかもしれない。そういうことは、たしかに分かるのかもしれないし、そういうことのなかに性質が潜んでいるのだと思ってしまう。
ほんとに不思議で美しいと思います
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基本的に休むときにはずっと家にいたい。それでも、ときに外出することは、良い気分転換になる。といっても、親しい友人に会って話すか、必要なものを買いに行くついでに散策するか、なのだけれど。
それで十分であって、幸せが逃げない気がする。あ、でもネットでみるウィンドウショッピングはときに要注意だ。誘惑に負けそうになるから……
けれども、冷静に考えたらそこまで必要でもなく、ときめき以上に満たされることが継続されるわけでもなく……よく考えて、慎重に選択することは、たしかに必要なことに思える。
ときに、誰かの意見に流されそうにもなるけれど、よく考えてみれば、自分自身に合った選択で、方法で、いくつかの個人的な幸せという豊かさは得られるのだと……そう思う。