暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

日常で幸せを感じるための時間の使い方、考え方について考えてみる

ep.1

一日の始まりをまずどう過ごすかという予定をある程度考えながら、イメージして進行していくようにしている。
その中で複雑なことも考えてしまうもの……。だから、頭の中がパンクしそうになってしまうこともある。

慌ただしい日々の中でも、余裕をもつことが難しいときであっても、それなりに何か面白いことを感じ、探していくしかない。ちょっとした合間に、珈琲を飲む、ただぼーっとしてみるとか、外の景色を眺めたりして。ぼーっとして無心になれる時間は必要に感じる。  

とくになにかを考えることがなくていいんだとおもえたときの幸せ感と言ったら……
その瞬間について考えてみれば、あまり暇な時間には余計なことはしない方がいいのだとおもう。

 

あとは、SNSチェックは時間を決めて、見る範囲をそれなりに決めること。 


 

暇な時間とは、個人が自分自身のために確保できる貴重な時間であって、なにか周りに気を取られやすい時間ではなく、この時間を自分に集中し、有意義に使うためにある。
そして、意識を向ける場所を自分自身の人生視点にかえて、何が大切なことかを再確認する時間だ。

時間を割く場所は、常に考えている最中……
読みたい本を読む。ほんのわずかな大切な人たちと過ごす、など、自分自身の楽しみを探す時間と暮らしやすくするために、生きるために有効的な時間……

そんな個人の時間と人生について考える時間とのバランスを維持していきたい。

 


───
EP.2
以前から、誰かの生きる姿勢に影響を受けてしまいすぎるところがある。そう思ってきたふしがある。
けれども、それは自分自身の人生の歩み方を感じにくさせてしまうことなのだと、感じる。

それはそれ、これはこれ、と分別して見極めて選択していくほうが、はるかに後悔は少ない。それは日常の些細な選択で、誰かに相談したり、頼りすぎることなく、自分自身で決断して進んでみるということ……

結局、個人にとって有利なほうを選択するのだとおもう。それは致し方ないことで、個人にとって素敵で幸せを感じられるのなら、そのほうが賢明であるのだと思える。

個人にとっての幸せの条件は、人それぞれで、結局、誰かとの幸せは比較できないものなのだとおもう。


____
EP.3
一日の活動量が多かったりするのに、寝つきが良くない、とか、夜にまで考え事をしてしまって眠れないとか……

こういう心身に影響することは、大体は精神的なものからきているのだとおもう。

 

 

先日、たまたま見かけた記事に、こう書いてあった。

本来、脳の疲労やストレスは、夜眠っている間に解消されるもの。けれども、大脳が疲れていると、そもそも眠れなくなって、疲れも蓄積されていって、ストレスになってしまったり、次第に体調不良まで及ぼす、と。

 

たしかにこれは納得で、疲れが翌日に持ち越された日が続くと、どうも思うように調子がでにくい……

そういうときは、調子が悪くなってしまう要因を探るしかない。
それは、単なる思い込みから作られる不安要素でもあるだろうし、実際に懸念しておくべきことかもしれない。

 

どちらにせよ、取り除いていかなければ、よい影響にはならないことだけは、わかる。

さあ、いったい、なにが気分を乱している?
落ち込むこともあるし、人生苦い経験も思い出すことも当然のこと。

あれこれ考えた上で、あまり誰かの主張に流されたり、目を気にしたり、心配してしまうようなことは気にしないほうがいい。あまり一喜一憂しないように。

後悔してもいいから、次は気をつけようと努力したり、気にすることでもないこともあると思って流し去ってしまえば、心配も単なる通過点で通り過ぎるようにする努力……

 

時間が経てば、いつかその場に自分自身がいなくなって解決したりすることもあるから。

そう思ってみれば、少し軽くなっていく気がする。