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朝目覚めると、空にはただ一つ雲ひとつない青空が広がっていた。その様子はまるで絵画のように美しく、その輝きは繊細でありながらも、どこか力強さを感じる。
そして、朝から聞こえる子供たちの元気な声で目覚める。子供たちは、わたしより体内時計がばっちりで、毎日同じ時間に起こしてくれる。
そして、起きてからはまず、花と野菜の水やりをする。花も野菜たちも一日一日で、変化する。
いただけることに、感謝が込み上げてくる。
それから、子どもたちとの活動のはじまり。
プールに浸かって涼むことは、ここ最近の欠かせない日課。
最近のこんな瞬間が、日常で穏やかで、鮮やかで、まるでお花畑にいるように平和に感じられる。
こういう何気なくただもの思いに老けて、一息おいて考えてみる時間は、なんとも言えない満たされた気持ちになる。
子どもたちは日常に好奇心を持っている。その度にわたしの神経はいつも鋭く、緊張感を持ちながらも、感動と驚きも覚える。
知りたい、変えてみたい、試してみたい、
こういった感情をくれる誰かの変化は、いつも目新しい。心動かされ、原動力にもなり、最近は、そう考えさせられて生きている気がする。
花も人間もなんにでも、いつも変化させようともがきながら、生きているのだよなあ、きっと。どんなことがあろうと生きている限りは。
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ああ、一体どうしてこんなこと考えるんだろうか、と思うことがある。
それでもその時々で、事情と選択に流されながら生きる。
どうしようもなかったこともある。それでも
どうしようかと右往左往しながら考え、ここまできたよね、とおもう。
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韓国の友人が旅に行った写真を送ってくれた。眺めてるともうすでに旅した気分で、たのしくなって。
早く会えたらいいのに。いつ韓国行けるかな……
夫の帰国時か、子育てがもう少し落ち着いたらか…想像するだけでもたのしみになる!!
それでも、時間は有限。どうなるかわからないかもしれないから、会えるタイミングで会いたいもの。
姉も今月韓国に行ったそうで、お土産を買ってくれたとのこと。その荷物が届いた。
しばらくわたしは旅ができなさそうだけれど、こういった身近な人の旅話を聞くだけでも、すでに新しいできごとをもらっていて、十分な贅沢なお土産になっている。
わたしのここ最近の一番の夏の思い出は、こんがりと日焼けした肌。中学生以来じゃないかな?それくらい、いままでにはない夏を楽しんでいるということかもしれない……!
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そういうものを好むというTwitterでの属性的な騒ぎがすき。しかも、すごくピンポイントで。
自分のなかでも普遍的にも感じられることだけれども、その人が話すとなぜか美しく、真新しく聞こえる。そんなセンスは自分にはないものだから。ときには、想像しながら別の視点がもらえる。