夜、子供たちが寝静まった後に自分のちょっとした書斎にて。
昼とはまったく違う静けさのなかで本を読みながら書く。これまた、自分にとってひらめいきやすい時間のひとつ。
しかも、スタンドライトが暖色でいい雰囲気をだしている。
こういう自分の落ち着く空間の中であれこれ考えていると、余計に深い考えがじっくり浮かんできやすい、ちょっとした一人を楽しむ時間に。
カチカチっと音がするリズムでタイピングする心地よさ。
— ℳ𝒂𝒌𝑜 (@mk_krs__note) 2023年7月30日
最近は、この一説をよく考えている。
なにかわたしの中で大切な見解が生まれるような気がして。
一般的なモチーフを避けて、あなた自身の日常生活が提供するモチーフにのがれておいきなさい。あなたの悲しみや願いや、過ぎ去っていく思いや、ななかある一つの美についての信仰などを描いてごらんなさい。
………(一部省略)
世の中のどんな物音もあなたの感覚に届いてこないとしても──そんなときでさえ、あなたには依然として幼年時代というものがあるではありませんか。あなたの個性は固執したものとなり、あなたの孤独は広がって、他人のたてる騒音が遠く過ぎ去っていくような。
ライナー・マリア・リルケ/『芸術と人生』より
言葉を追っていくにつれて、じわじわ深みが出てきて、その後もまだ余韻が続く。何度読んでみても、いろんな考えが浮かんでくる。そんな文章は、心に残るし、大切なことのように思える。
結局読みたいものは性に合うものだったりもするのだと思う。
読みたい人に刺されば、それはちょっとしたお守りみたいな、支えにもなって。
そう、わたしは考えることがすきで、それはときに無駄なこともあるかもしれない。それでも夜な夜な考えたくなることもある。
けれども考える果てまでいってみると、自分にある多面性と向き合った末に、ふと個人の中での議論が終わることがある。考えがまとまっていくというよりも、心に言い聞かせたり、納得させるような感じで。
たとえ、それは正解ではないかもしれないし、だいたいのことは考えすぎが多いかもしれないし、自分自身のことはいまだに理解できないこともあるけれど。
いつもこうやって記録しながら、自分自身と向き合い、つい、思ってしまうこと、行動してしまうことを考えている。
そうだ、思考の整理帳として、こうしてつぶやく部屋としていくことも、やっぱりいい。
愛用しているキーボード
機械音痴のわたしでも使い勝手よくて気に入ってま