暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

ふと、思い直したこと

最近は、なんだかちょっと小言が、多くあった気が。

そういうわけで、かんがえてみたことを、振り返ってみることに。

 

  音楽を聴いているジャンルでも、本を好むジャンルでも、すれ違って会釈をしながら顔を合わせる時でも、だいたいの感覚で、どういう人かが、現れるような気もする。ああ、なんだか、ちがう。合わなさそう、そう判断しているのかもしれない。現実、気にしたくなくても、気にしないと通れないことも実際には、ある。

 

そういった疲れが溜まりやすいとき、余裕がないときなど、ネガティブさが舞い込んできそうなとき、ああ、また6歳の息子に話を聞いてもらっているな、と、ふと思う。半分愚痴に近いのかもしれない。

けれども、息子はいつも真剣に聞いて、受け答えをしてくれる。本当にありがたいこと。

 

実際に、わたしも息子に、半分真剣に人生相談をしている。どう思う?の意見交換として。

あと半分は心情を整理するために、吐き出したいのと、わたしの心情を誰か理解をしてくれるのだろうか?わたしだけの思い違いだろうか?少し考えすぎなのかな__と、そういったことを確認するために。

 

幸い、息子は、わたしに適した受け答えをしてくれる。

ぼくも、そうおもう。と、聞いてくれたり、息子なりに思う意見も、きちんと誠実に受け答えをしてくれる。あとは、そんなこと考えすぎなくて大丈夫だと。すべてを受け入れるというわけでもなく、こういう場合もあるというように。

 

そう、世の中には、さらけ出せないことだらけで、打ち明けられる人のほうが、むしろ貴重なのだと、思う。そして、少しばかり無意識にでも、警戒して避けるようになっている気がする。人間の本能的に備わっているものだと、言われるように。

 

無理に相手に合わせようとしなくてもいい。

互いに相手の立場に寄り添って、合わせることができる継続的な良好な関係を大切にすれば、実際に困ったときも相談したり、誰でも話せないような胸の内を打ち明けることができる。そうすることで、救われる思いになる。

 

誰にでも当たり障りなく話せることは良いことかもしれないし、社会的な部分として必要なこともある。それでも、身近に感じる幸福度は、そこにはない。

 

表情をみたり、言葉を交わした瞬間に、なんだかこの人とは話しやすい。と、思える人とは、自然と話が弾むし、好み、価値観などが似ていることが多い。それが、人生の面白み、幸せのひとつじゃないかな。

 

そうだ、いま暮しの中に幸せがあることに目を向けよう。__

気にしすぎず、気楽に接していけば、いい。

 

こうして、人生の喜びには、穏やかさと切迫した気持ちとが混ざってできていような気がする。なにかと過ぎていく日々ながらに、そう思う。

そう、何気ないことが当たり前で、些細なことや、大切なことに感謝することを忘れかけていたのかもしれない。

 

そう、ふと思い直した日でした。

 

 

𝓒𝓸𝓶𝓲𝓷𝓰 𝓢𝓸𝓸𝓷...🍀