窓を開け、無音で家事を済ませながら過ごしてみると、自分の時間に集中できることに、気づきます。
そのあとも、引き続き、読書をしたり、書く作業をしていると、鳥のさえずりや、セミの鳴き声、風が揺れる音、揺れるカーテンの音が、なんとも心地よく。不思議と、頭の中が調子がいい。よい考えが過ぎってきます。
いつものように珈琲を飲むことも、わたしの中での、すっかり毎日の生活の恒例行事。
それでも、わたしにとっての珈琲とは、年々、概念がなくなりつつある。
「飲めたら満足」といった感覚に近いのかもしれない。
以前までは、珈琲を飲む時間を贅沢にしたい──そう思って、そのために、どこかのちょっと有名な珈琲店で飲みたい、という思いが、どこかにあった。
けれども、いまは、気がつけば、珈琲を飲んで一息つく──という時間に集中している。
その時間の過ごし方に集中するために。やすらぎをもたらすために。
そんなふうに、珈琲はその時間のお供といった感じに。それでも珈琲は、よい時間を作るための欠かせない一部で、すべてを総括して、よい時間にしてくれる素晴らしいコスパのいいたしなみ方だと思う。インスタントコーヒーを買えば、一日数十円で済む。
そう考えてみれば、ますます家で過ごす時間が有意義に感じてきている。
外出もしたくなければ、外出したかと思うと数時間で家に帰りたくなる。少し、子供の頃の自分に戻ったような気分に。──
そう、家で過ごす時間は、なんの贅沢には変えられない。
基本の調味料、道具などを用いて、個人のできる幸福な暮らしの掟にそって、暮らしていくことなど。
わたしにとっての、文章とは、なんだろう。
そう考えてみれば、読むことも、書くこともそれなりにやっぱり好きで、気づけば、書きたくなる。
継続して行えることならば、自分自身にとって、しっくりくる選択といえるだろうし、生きる上での、最善な方法なのだとも思える。
それ以上は、必要以上に望まなくてもいい。ただ、自分自身の日常にある暮らしに集中する。
それだけで、幸せと言えるような気がする。
そんなことを考えて書いていくと、なんだかリラックスしてきますね。
そういうことを考えていきていくと、心身の鎮静作用が、ありそうです。