《経験とは、》
こうして、毎日記録をしてくると、一体なんのためにしてるのだろう?と思えてくることがある。それで、改めて、考えてみた。
まず、誰かに読んでもらえたら、という以上にわたし自身、一番大切だと思うのは、自己整理の時間だと思える。
そして、ここに個人日記兼用として、綴っている。なんで、自分だけの日記を綴らないかというと、個人用にしてしまうと、詳細をつらつらと無駄なことを書いてしまいがちになる。周りから見ても、ある程度主体的なテーマがわかるように、簡潔に書くようにしてみる。そのほうが、面白いと思えるから。そういった理由もある。
それでも、いつも迷ってしまうのは、タイトルについて。ここが、今までも迷ってきた。
もう、タイトルなんて、やめてしまおうか。──そう思ったこともあるけれど、それじゃあ、なんだか自分自身も振り返って読みにくいし、味気ないものになってしまう気がする。
それじゃあ、キャッチーな言葉がいいのかな。
いや、それはなんだか、大げさに感じてしまう。
実際に、読むタイトルを選ぶ際にも、感じることとしては、「想像できないもの」は読めないこと。あとは、「ビクッとする」ような見出しは、なるべく、読まないようにしていること。
以前までは、なにか、すごいことを書かないといけないわけでもない、読んでもらうために……と、いう観念もあった。
けれども、いまは、誰かに聞いてもらうために話さないといけないのか、とおもえば、実際にそんなことを考えたくない自分がいる。ただ、一日を記録するための、緊張感や新鮮さを見出すために、あえてここを利用する感じに。──
メディアでもよく見かける、作られたものは、なんのためにあるのか。
存在を示すためのら生存戦略だろうか。
そう考えれば、存在を示すための生存戦略だろうか、とも思える。
世の中には発言することが当たり前のように話す人も、多くいる。あえて誇張する言い回しをする人もいる。
たしかに、世の中には、リーダー的な力を発揮する人も必要だろうけれども、誰かを統制するような過度な意見は危険でもある。
これは、単に、社会に役に立つか、役に立たないか、に判断されるのかもしれない。その判断も人それぞれ。それ以外でも個人の人生にとって、得になると感じることも、大切かもしれない。
もちろん、見てもらうためもあるだろうし、仕事としてこなさなければならない人もいるはず。けれど、誰もが実生活のなかで求めているのは、個人にはない考え方。あるようでなかったこと。斬新さ、が必要なのかもしれない。
わたし自身も、心にじんわりくる話を聞く瞬間が、とても好きなうちの一人。
けれども、意見を参考にし、個人の理想的なものを感じられたら、それで満足するタイプ。好奇心が絶えないため、どんどん理想的な生き方を、アップデートしたい。
理想的といっても、個人の続けていることを、「もっと、上達できるには?」ということを考える。
こうして、文章を書くのも、その方法のひとつになっている。
ただ、話したいことを伝えてみるようにできたら、十分だと思えるし、
たとえば、参考にしたいものは自然に選んでしまうように、困ったときや、自分に必要なものを探すときには、調べたり、求めたりする。そのように、必要に感じる知恵を共有するような感覚が、いちばん気楽で、心地がいい。
あとは、なるべく穏やかに、ひっそりと暮らしたい。控えめに。そういう性格のように思える。そう、いわゆる内向的なタイプ。経験はある程度していくにつれて、必ず学びがあり、どこまで、どうこなしていけばいいのか、自分自身の生活の塩梅が、わかってくる感覚になる。
そもそも、こういう性格は、書くことでも、地味で、華やいだことは書こうとしなくてもいい、のだと思える。
こうして考えてみれば、経験をしていくこと自体が、もはやすごいことなのではないか、と思えてくる。
__そう、一日一日が、貴重だとおもうようにするために書いている。
生まれてからのこと、経験はだれもが、必ずしてきた。しなければ、ならなかったし、
生まれてからは、どこまでなにをどうするとできるのかは、冒険であり、未知の領域に感じ、なんでも試してみたくなるし、試してみなければ、わからない。
歳を重ねるにつれて、経験とともに、喜びだけでなく、悲しみ、怒り、楽しさ__が混じってくる。現実だけでなく、外の世界を見て、いろんな考えがよぎるために、不安も心配も大きくなる。
けれど、人生って、そんなリスクのあるような、大きな経験をしなければならないだろうか。それが、誰にでも成功の秘訣だと必ずしも、当てはまる訳ではないし、大きな喜びになるわけでもない。
それは、よく考えれば当然のことで、ある程度経験していくとどうしてもリスクは、つきものだとも思える。この先も、いつだって、リスクはある。いつ、どうなるかは、分からない。
そう思えば、これまで、30年でも、一日一日を積み重ねて経験してきたと考えれば、すごいことには、なる。そんな情報を経験の積み重ねが経験となるし、自分なりに得たものを、物々交換をするように、知ることも、知恵の交換だと思える。自分では手に入りにくいような材料を譲る、譲ってもらったりしている。維持をして穏やかに過ごせるように考えていくようになる、その参考にして。
そう、思いながら、ただ、1日過ごしてきたことを書いていこう。
そう、思えた日のことでした。