暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

わたしにとっての、読みものとは、(アニー・ディラード著/「本を書く」のご紹介と)

 

 

わたしにとって、読みたい本はさまざまです。

好みのコーデが納められているファッション雑誌、書くことを題材にした本、暮らし方、ある専門の参考書など。

 

それぞれの書に、お気に入り部分があって、一冊には、もちろんまとめられていない。──

久しぶりに面白いと思える本に出会ったときには、毎度このように思ってしまいます。

また読みたくなる一冊は保管しているけれど、実際には、そんなに頻繁には読まない。

アニー・ディラード著/本を書く
個人の世界観にただ没頭する著者の文章に、読んでいて清々しい気持ちになる。お気に入りの一冊。



ふとしたとき、読んでみようっと──そう思った本が、 心に響くこともある。話し方なのか、話す内容とかに惹かれて。

そのように、その都度更新されていく。

わたしにとって、本とは、そんな存在。

 

あと、本は、ときどき読むと、おもしろい。

毎日読んでいると、わたしの場合、頭の中が複雑になりやすいために。

 

それでも、最近考えるのは、文章も話す内容のように、「なんとなくおもしろい!惹かれる!わあ…!」という感嘆する部分は、すぐに感じられるということ。

一発で感じられたのならば、かなり自分自身にとって、重要な部分だと思っている。

心にじんわりくるときには、まあまあ気にすることだと思い、一応頭の片隅で覚えておけば、後々点と点がつながってくこともある。

 

そう、読みものとは、出会いのように、出向かなきゃ自分にとってよいと思える本に出会えないもので、読む機会が必要。

偶然によいものに出会えることもあるけれど、それも少なからず、意識して行動するから、必然的に起こることもあるのだと、思う。

 

自分自身が書くのなら、どうかな。

大したことは書いていないと思えるし、誰かに投げかけることでもないと思う。それぞれの意見はどこが違うし、一致することはない。何派に近いとは、言えるけれど、それも一部分で。

いったい、なにが正しいのかは、疑問は耐えない。なるべく納得できるように、解釈してみるしかない。

 

ただ、つらつらと整理するために──といったほうが、書く側も心地よい。

読む人にとっても、勝手に問いが湧いてくるインスピレーションとなるのならば、幸いで、それを決めるのは読み手であって、書く側も、力を抜いて書いてみる気持ちであればいいんじゃないかな。

少なからず、誰かを巻き込まず、こういう個人の日々の見方を綴る上では──