暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

充実したと感じられる時間のすごし方。集中する、満足感について

気持ちとの葛藤は、静寂した時間ほど長い

 

 

静寂の中で過ごすと、時間は有意義で長く、充実したように感じます。

 

「一日って長いな──」

と言っていたドラマとも重なって、一日は、もしかすると、自分のなかで集中する時間が長いほど、濃厚に感じるのかもしれません。

 

あと、初めてのことも新しい感覚になるから、意識したり、集中して消耗もしやすい場合もある。

 

 

書こうと思って、いつも書き方に迷いますが、よく考えてみれば、自分のなかで論理は回っているのだから、そのことを言語化していくのがいいかも、と思い始めてきています。

これを読んで良し悪しを判断することも、いずれ参考にはなるかもしれない、と願って。

 

というのも、自分自身、誰かの話からでも 、会話の中でも、発見があったりするのです。

 

ふと気分転換に映画をみたり、気休めにいま気に入ってる人を鑑賞したりするときに、ふと考え直すことがあったりすれば、誰かの文章、動画、ラジオを見聞きしていると、「どういう経緯で、そのような生き方に至ったのか。どう考えたのか」と、それを、自分自身に置き換えて、新しい発想を取り入れることが、私は、好きなのだと思います。

 

実際の出来ごとを考えた対象に対して、興味が湧くということなのかもしれないと思えば、それでも滅多にないのですが、稀にフィクションの物語にすごく惹かれることがある。それはきっと、共通点として、自分自身の願望と重なる部分があるのかもしれない。

 

誰かの暮らし方を眺めていることは、参考になることがあっても、個人には活かせない領域がある。もちろん、今こうして発信している立場になって見るとき、ただ、話してみるくらいの気持ちで書くことが、ちょうど良いのかもしれないな、と思ったりします。

 

それでも、話す側も、聞く側も、それなりの配慮が必要で、自己満足だけになってしまうことは、どちらにしても良い結果は得られないことになってしまう気がして。それでも、あらゆる物事からも、視点を変えて考えてみることができるし、何かをみていると、感情に触れている気がする。

話すことも、話し方もその人のセンス、人格の表れでもあり、これは言ったらダメだろうなあ、と言うことは、考え直すこと。好きなことと、自分ができることとは、方向性が微妙にちがうということ。=意見交換する機会で、学びだと思うこと。

 

 

こうして記録してきた中で、文章として、blogとして綴ってきたなかでも、どうも常々頭の中を駆け巡ってモヤっとしていた疑念は常々でてきます。

「このとき、私は何を思うんだろう?」と深掘りしてみると、単純そうに見えて、けっこうあれこれ考えているということに、気がづいたりするものです。

 

気持ちをフラットにしている状態が、脳の思考回路が再整理しやすい状態が働くというとよく聞く話でもありますが、これも、冷静に考えてみる行為、「一旦立ち止まって、もう一度考え直してみようよ」という機会ではないかな、と思うのです。

 

静寂は、時間を有意義で長く、充実したように感じさせてくれる。冷静に考えるには、やはり、余裕を持って考えてみよう──そういうなっているのだろうなあ、そう思えたのでした。

 

 

 

 

 

 

発芽まで室内で育てる「たけのこキャベツ」。かわいい形に出来上がるのが、楽しみです。



たけのこきゅうりとオキザリスの種を巻いた。同じ種を少し違う方法で試して植えてみる。実りますように……!

オキザリス」は、寒さに弱く、室内管理がおすすめみたいです。地植え、プランターの両方試してみました!