日々が激流の如く流れ去る。
その流れは時に荒々しく、時に静かで、そして時には予測不可能な方向に向かっていく。
最近は環境の変化により、まるで一日一日が挑戦のよう。柔軟に対応するために、心を鎮め、思考を整理することに、より専念しています。
人は、環境において少なからず影響を受けるものです。団体のなかで足並みを揃えることも大切でもあり、「〜でなけらばならない」という問いは、日々疑問として浮かび上がってくることも事実。
同様に、個人の創造性を大切にし、その可能性を豊かに育むこともまた、非常に重要なこと。
何が正しいのか、何が悪いのか、という判断は、周りの環境によって左右される。子供たちもこの先、今も、今後も、何らかの影響を受け続けるのだろなあ、と感慨深くもなったりする日々。そんな中で、個人のアイデンティティをゆるりと良い方向へ軌道修正できるよう、理解を深める。
ちょうど、今日偶然テレビで見かけた画家のマティス。よく見かける存在の彼は、「言葉にできない世界を絵画で表現したい」と、絵画に新しいカタチを生み出した人。そんな彼の絵画は見た瞬間、私も気に入りました。
マティスのようには表現できなかったとしても、すでにある組みあわせで、さらに個人的な豊かさ、新しいものをつくりだすこと。
個人の創造性を伸ばす機会を多く設けること。育むことはできるのだと思います。そういう解放できる個人の領域という時間は、ぜひとも、守っていきたいものです。
表現するということも、言葉だけじゃなく、色んなカタチで垣間見れることが多々あります。
遊び心、趣味のようなところから伸び伸びと表現していくことは、カタチにとらわれないことにも繋がる、というような話はよく聞きますが、まさにそのような瞬間から現れいでくるのだと思ったりします。
“何のために、どこで活用するのか、どこに向ける思考を削減する必要があるのか”──
あらゆる物事について、考えてみています。
書くことから湧き出てくる思考をつらつらと綴ることで、自然と頭の中が整理されると感じることも、よくあります。
さあ、私ができる創造的な瞬間はなんだろう?
人から聞くことで得た「どのように生きるべきか」というストーリーは、常に興味深く、自分なりの解釈に結びつく機会に繋がることがあります。
そして、私も日常で体験する小話どうせを書くならば、単なる出来事としてではなく、自分がどのように生きてきたのか、どのような知識を得たのかという、より深い意味を込めたものにしたいと考えています。今もこの文章を綴りながら。
↑この囲いがめちゃくちゃ便利!
家庭菜園や花壇造りをする際、植物を根を止めるために一旦差し込んで、徐々に徐々に拡張していくために非常に役立っています。
有効に活用しながら、必要に応じて植物を増やすことができます。

- 価格: 1680 円
- 楽天で詳細を見る