何かに固執することは、満たされる回路を狭めていたこと。
切迫した忙しない日々の中でも、ゆとりを持たせ、感謝すれば、欲は減り、目の前にあることに幸せを見いだす。よき循環ができてくように思います。
SNSも発信によっては、大勢へ向けて意見を発表しているのと同じ場合になってしまうこともある。
SOSを使って声をかけたのなら、立ち止まってくれる人もいれば、それが真偽なのかを見極めて、自分にとって懸命な判断をする人もいる。興味無いことは誰も関心を向けにくいだろうし、どこか重なる部分、コアな部分で交流を楽しむこともある。やはり、楽しめることなら参考にしやすい。
その点、話したいことを話し合える人と出会うことは、むずかしいことです。
そんな中、互いのよきタイミングで、偶然なのか必然なのか分からないけれど、出会える良き縁もある。
それでも実際には身の回りで助け合える人ほど、心強くて、支えになる人はいません。“風邪をひいて助けてくれる人がいたら”というように。
たとえ遠く離れていたとしても、時々会い、良き思い出を作れたり、心通じあって繋がっている場合もある。
結局それぞれの意識次第になるのだろうけれど、意識がブレずその軸を元にして物事を判断していく意識行動ができれば。誤差も少ない。身の回りを円滑にしていけたら、幸福度が増す。
ちょっとしたあれこれ大切に感じている備忘録としました。
追伸:
昨晩は、風邪をひいて痛みで夜は眠た気がせず……。ここまで痛みと向き合って何も考えられなかったのは久しぶりでした。
それでも避けられない子育てと家事。夫も海外にいるため自力でこなすしかなく……「こうして人は一歩強くなるのかも」と思いました。なにかに耐えて、強くなろうとする免疫力を高めていくことで。
それでも子供たちに支えられて無事回避しています。