暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

日常をよく凝らして考え直してみる

 

ちょっと最近印象に残ったことの記録を。

 

子供たちが好んでよく見ているおさるのジョージ。わたしもちょっとした場面に引き込まれるように思わず見てしまいます。

 

黄色いおじさんとおさるのジョージという2人の掛け合いが心地よく、生活感も溢れていたり、新しい発見もあったりして。日常の中の大切なことを教えてくれたり、共感できる部分も多いお話です。

とはいえ、実際、おさると暮らすことは現実味がないのですが、おさるのジョージは物語設定のために、人間味溢れています。まるで一人の子供の子育てしているような場面として、ときには発想豊かな天才として感じられます。

 

おさるのジョージの物語のように、日常の中の何気ないことをよく凝らして、考えてみる時間がわたしは、すきだなぁと思いました。

 

あまりにも複雑な世の中についていこうとせず、無理に入り込もうとすることなく。特別なことはとくになくても、ただある生活の中に目を凝らして、楽しんで生きてくことができれば、その中に新しい発見が生まれたりします。個人の視点の中から、見る見るうちに考えが変容していき、次に生かせる行動が自然と結びついていくことがあるのです。

 

昨日、6歳の我が子が、「面白いものを見てると、いいアイディアがたくさん浮かんでくるんだよね〜」と。え…もうそんなこと思うのですか?と母であり、一人の人間としてもは驚き。それでも、言わんとすることはわかります。どんなところからも、別の視点を持ったり、疑問をもって観察してみれば、おもしろい発見はあるよ。ということなのかもしれません。

 

人から勧められても全然試みなかったのに、ある日、実際に試してみることをきっかけに心変わりすることもあります。その物事の良さが分かることもあれば、その反対もあります。誰もが生活様式が違うように取り入れやすい方法、手段が、それぞれ違うのだと思います。

 

たとえば、わたしは寝る時以外、眼鏡を一日中かけていますが、コンタクトと眼鏡を使い分けている人もいますよね。みな、眼鏡を選ぶ基準、好みも人それぞれで、合わせて使っているのだと思います。さて、自分にはなにを使って、どう組み合わせて暮らしてくのが快適かな?という、そのようなことです。

 

たとえば、読書、書くことも、私にとっては意外にも快適なことでした。読みたい内容、表現力も違えば、読む目的も違ったり。読書する、綴る思入れもそれぞれ違ったりする。だから考え方も違うのだろうなあ、と思ったり。

 

表現力はみな、違うのだろうなあ。思いも違うのだろうなあ。書きたいことはあるけれど、見落として書いてしまっていることもまだまだあるだろうなあ。もう少し、具体的に表現できたらいいなあ、とか。

 

とにかく、そんなことを考えたり、あふれてきた、とりとめのない記録となりました。どうしても噛み砕くように整理しようとするとまとまりのない文章になる気がします。

それでも、個人として一歩成長するための、大事な過程のような気がしています。

 

 

 

 

いつも愛用中の「珈琲考具」にお茶も注いで飲んでます。フタ付きが何気ないときにめちゃくちゃ便利で。小さな子供たちもたのしそうに自分で注いでます。

 

mako-bookdiary.com

 

 

水出し用も便利そうです!

 

 

訪れてくださり、ありがとうございました。