とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

日々の暮らしの中で感じる幸せと手紙を書く魅力

おはようございます。

ここ最近の一日が慌ただしくも心地よく過ぎていく日々です。

なんというか、必死に息継ぎをしている感じではなく、ゆったりとぷかぷか浮いたりして穏やかに泳ぎ続けているようです。


毎日子供たちと活動しているので、身体の疲れが溜まってしまい、身体が耐えきれず横になった瞬間に、ばたりと寝果ててしまいます。それでも、よい疲れを感じています。

 

この家族が揃う生活も、あと1週間くらいになりましたが、こうして家族だけで楽しく過ごす時間には、特別感があります。過去の思い出も大切ですが、私たち家族もいま、新しい思い出をつくっている最中だということ。そして、いつも複雑に考える日々だということかが、いかに分かるようです。それでも、毎日の有難みが感じられます。

 

“人生は書物だ”という言葉がすきです。わたしも、まさにそのように思ってしまいます。

ある日の誰かの日記を、ここで読んでいてもそう感じられますし、SNSでも呟いたり綴ったりしている人を見かけると、そのような気持ちになります。考えも複雑で、価値観も多様化しているほどに、酔う感覚にもなりますが、そのぶん自分の生き方を、より良くしていく方向へ向けていけるような気がしています。


個人的に抽象的にぼんやりと自分を眺めるように、そして、自分が真ん中にちゃんといるように語られている雰囲気のエッセイを読むことが、とても心地がよくなります。そういうエッセイを、今も探しているところです。

 

#手紙を書く気持ちを再び

今日は、手が空いてる時間に、韓国の友人へプレゼントのお返しの荷造りを、やっと終わました。さんざん悩み抜いて送る中身が、いまだに納得はいかないものの……初めてのハングル文字で書いた手紙も添えて、送る準備を済ませました。あとは発送するだけです。

 

いつまで経っても、手書きはいいものです。書きながら、書く本人までもが心温まってしまいました。送る相手を想像しながら──思い思いに書いて、時間を経て届き、読んでもらえることを想像すると、それはまたなかなか味わえない幸せの感覚でした。

 

ここまで真剣にプレゼントを送ることに悩むのも、久しぶりでした。決して、誰かにあげるときに適当にしているわけではないのですが、異国同士で贈ることに対して、余計に真剣に悩みたくなりました。

 

とりあえず、初めて贈るプレゼントを決め、送ることにしました。幸いにも好みの感覚が似ていて、しかも優しい人なので、安心して送ることができます。こうした、互いを理解しあえる仲で、意思疎通しながら会話をしていける友人も、なかなか巡り会えないものです。

 

そして、早く会えることを願っています。こうした会うまでの時間も待ち遠しく、あれこれ考えを巡らせることもできて、より一層楽しみになりますね。


さて、また一日が始まります。
みなさま、訪れてくださり、ありがとうございました。素敵な一日を過ごせますように。🍀