暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

韓国文学の新たな名作。「天気が良ければ訪ねて行きます」を読んだ感想とその日の記録

 

今日も、天気が良くて、あれこれ家事を済ませました。出かけたついでに、桜も満開で、菜の花も咲いて……春を感じました。

 

さて、まず、最近のわたしのお気に入り本のお話を。

 

『天気が良ければ訪ねて行きます 』イ・ドウ著、清水博之訳

ドラマが気に入りすぎて小説も読みましたが、この物語の世界観がまた、たまらなく好きになりました。不思議なことに、ドラマと小説、どちらも良さがある。ちょっとした表現の違いで、少しニュアンスが違って伝わってくるようです。

 

あらすじは、さておいて、一番気に入ったのが、主人公のキャラクター設定でした。

 

書店をきりもりして、好きな本を売って、ブログで紹介して。そして、お客は主に、田舎町の住人。または、ネット販売など──

わたしも、主人公のような書店のオーナーになってみたい!と思わずにはいられない、本好きなら思わず、想像をふくらませたくなるはず。そんな内容でした。

 

個人的に、主人公の生きる様・価値観に、共感できる部分も多くあって。ときどき、この物語の世界観がふと恋しくなって、余韻に浸りたくなって読んでしまうのだと思います。

 

物語は、主人公の心情や初恋相手と再会した後の恋模様を描きながら、人生の選択や別れのテーマを探求しています。

 

この本は、わたしの栄養補給的なものとしていつまでも本棚に残し、大切に読んでくと思います。

人生で巡り会えてよかったと思える本に出会うと、なんとも心が活気づくようです。おかげでいい本は、何度でも味わったことを、書きたくなりそうです。

 

素敵な本に出会うたびに思うのが、わたしは自分の心を満たす充電時間を多く養うようにしないと、ほかの活動へのエネルギーが注げないとか、枯渇ししやすいタイプの人間なのだなと、改めて思いました。

 

気分転換も、家で読書するか、映画やドラマを見るか、ラジオでおもしろい人の話を聞くか、とか。そのような日常に対して、物思いにふけることができる場面や、時間が、何よりも心が潤うようです。

 

どこかにぶらり出かけてみるのは、たまにがちょうどいい気分転換になりますし、それより、多くの時間をなるべく本を読んで、感慨深くなったことを書き留めたり、家族と話したりすることから、思い思いに老けていたい。そんな日々を記録することに向けてくことが、はるかに心が活気づくようで、救いにもなる。大切なことを、心に刻むことができる気持ちになれるのです。

 

 

書くことの楽しさと自由さと大切なことと

 

よく考えてみれば、小学生の頃、読書感想文を書くのが好きでした。

 

何書こう?と迷うよりも、思ったとこをつらつらと書いていたような記憶が、未だになぜか、鮮明に残っているのです。

 

ほかに学校生活をどう送っていたのかなんて、ほとんど覚えていないのに。なぜ、そんな読書感想文を書くことの記憶だけを、ピンポイントで覚えていたのか。──

いま思えば、なんだかわかってきたことなのですが、きっと、書くことが昔から好きだったのですね。

 

子どもの頃から、言葉の使い方がおかしいと家族に言われてきました。けれども、いまよく考えてみて思うのは、言葉も選び放題だったのだな、と思うのです。そして、それがいまもなんだか、役に立ってるような気がするのです。

 

書いていて気づいてきたのは、「平均的なもの」にとらわれないこと。

よく言う、誰かの文章術は参考にはなってきましたが、自分にとっては、あまりあてにはならなくて。実際に自分の目でみて、感じて、自分なりの言葉で噛み砕いて。自由に書くことが、いちばんしっくりくるし、書きがいも、生まれてくるようです。

 

そんなふうに、これまでと今の、書く姿勢を考えながら、伝え方も、表現も、自由なのだと思い、書き綴っていたりします。

なにをどう伝えてみるのか、も自由で、自分の言葉で絞り出してみるようにして。

ただ、言葉も、誰かに伝えるためにできたものでもあることは、大切にして。

 

正直、書き始めのころは、「自分らしく書けることはないだろうし、それは、書く技術者だけができること」─だなんて、思っていました。

けれども、書くことなんて、誰もが書いてみることはできるし、自分の言葉に乗せて書いてみればいいのだと、思えてきています。書くことが、日に日に楽しくもなってきています。ただ、感覚的に書いていたりします。

 

根本的な機嫌の取り直し方は、誰もが似ているようだけれど、ただ、そこに行き着くまでの考え方は違うのだなあ、と思うようにもなってからのことです。

なので、せっかくならわたしも、つれづれなるままに書いてみようかな、と思ってきています。ある一人の記録日誌のように。

 

……正直、「ありのままで」を、理解できるまでには、少々時間がかかりましたし、いまも難しいものです。

ですが、なんとなく分かるのは、頭から手が動く──そんな感覚になれるときは、書きやすい。

 

「書くことに集中する」というよりも、「書けることを見つけていく」作業が、必要なのだと。それを見つけたのなら、書けていくことができたりします。

 

じつは、「集中力」は、意外と自分で養えばできることでもあるものだと、書くことから思えてきています。

「集中してみたいこと」をするから、「集中できてく」時間を、確保できるのです。

 

「なにに対して、どう取り組むか」ということよりも、「どう取り組んでくと、得を積める気になるのか」──みたいなことを、日々自分と相談をし続けて、書いているような感覚です。

 

書くことも、「小さな、してみる体験」から始まります。

 

「アイスクリームも珈琲も飲みたい。

じゃあ、いま、ホットコーヒーにアイスクリームを放り込んで飲んでみたら、どんな気持ちになるかな?」

とかの、その後の気持ちを、今の自分のコンディションや心の揺れ動きとして知ることができたりします。その感性を味わう感じで、感想文にしてみること。

 

いつも、主観的にみて、学んで、周りとにらめっこしてみる。誰かにも尋ねてみるとか、

そういうことから、自分の言葉で転がしてみて、言葉に乗せていく。──

心のなかに、小さな私が踊っているような、そんなイメージで、日々の物語が紡いでいくようにしています。何気なく思える日常のことを、奥深く味わってみるのが、日々の楽しさに、もたらされていきます。

 

考えてみれば、この記録がすっかり身につくようになって、日々積み重なっていくのが、心にずっしりと宿るお守りみたいに心地よくもなってきています。

 

そして、いつまでたっても分からないことだらけですから。だから、余計に噛み締めていきたい日々ですね。

 

では、みなさん、素敵な一日を

訪れてくださり、ありがとうございます。

 

追伸:いつも、暖かいコメントをくださって、大変励みになっていますし、なんとも言えないほどに心が潤うようです。ありがとうございます。