とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

時間はいったい、どこへ行ってるのでしょうか。

訪れてくださり、ありがとうございます。

読者の皆さま、いつもありがとうございます。

 

さて、
このごろ、よく敏感になって聞いてしまうのが、「睡眠」というワードです。
じつは、いま、そんなに眠りの質が良くない気がしています。

疲れやすく、そして、バタリと寝落ち……かと思うと、朝方起きにくい。
の、三拍子がそろう日のほうが、多くあったりします。それでも、今日は久しぶりにたくさん眠り、身体も軽いです。

散々、いつもここでも、「よく眠ろうとしています」とは言いつつ……かといって、実際に7時間は寝てはいたりしますが、眠りの質は、あまりよろしくありません。「寝た量」のわりに、「休めた」比率が、合わない感覚なのです。

正確にいえば、「眠ろうとしていない」というのが、正しいのかもしれませんね。
寝るよりも、あれこれ考えごとをめぐらせてしまって、「明日に持ち越すのが惜しい」というような心境に、近いような気がします。

眠ればいいことはわかってるのに!
今日でも、明日でも、さほど気持ちは変わり映えはしないかもしれないのに。
今日と明日からのことで、良くも悪くも頭がいっぱいになりますね。
むしろ、考え続けてる方が効率が悪いこともわかってきてもいるのに、なかなか頭と身体が合致しないものですね。

けれども、寝るのも惜しいものです。
自分時間との欲求との葛藤もあれば、やることに囚われて考えてしまったり……
それに伴い、子育てもあり、母として、一人の人間として、妻として、生活として。
あれこれ毎日考えたり、こなすことが山ほどあったり。

 

……時間が過ぎるスピードに追いつけない。
時間は、一体どこへ行ってしまうのでしょうか。恐ろしくはやく、いつの間にか時間が過ぎていくようです。

 

それぞれ誰もがちがう生き方で、思い思いになることが日々あるはずです。生き方もみなそれぞれで、桜が咲く季節だってそれぞれ。

わたしち家族は、今年は3人で仲良く桜を見ました。

 

春をみました。
つぼみが、まだ木から実ろうとしていたりして、命をみたようでした。
木って立派だよなあ。たくましいよなあ。
人間からしたら、身体から美しいものが咲いているようなもので。

不思議だなあ、植物ってものは。

 

そして、来週、やっと夫が一時帰国。家族団らんの時間が、楽しみです。

 

結局、みんな自我が強すぎることは間違いないし、嘆きたいのもわかる。私も嘆いているのかもしれない。こうして、いまも。

 

誰もが思ったことを楽しく、悲しく、だけ、書いているだけではないはず。その気持ちが伝わる文章は、やはり好きです。誰もが強くあろうと努力しているわけですからね。
それでも、ふう…なぜか、少しげんなりしてしまうのです。なんだ、この世界は、って。

 

たまに、ザワザワするんです。きっと、いまは少し自分に疲れてるのかもしれないし、世の中に疲れているのかもしれないですね。まったく、心の移ろいは忙しいものです。天気のように!すごく不思議なこととか、起こることもあったりして。けれども、これもすべて意味のある必然なのかもしれませんね。

 

それでも、会話のなかには、いつもほんの少しの笑いと寄り添いがあれば、救いになることだけは、わかる。
いつも優しい人には、かなわない。ご機嫌な振る舞いをする人には、かなわないのだと思う。

いままで、なんで優しい人は、優しいんだろう?と考えていましたが、今ならその理由が、少しわかる気がします。きっと、優しい人は、誰かの辛さや、悲しくなることを知っているからなんだろう、と思うんです。

 

果たして、優しさってなんでしょう。
人が賑わう場所へいくと、やっぱり少し頭がクラクラするときがあるみたいです。
なので、性格上、やっぱり少し賑やかな場所は避けようと思っています。(けれども、個人同士の楽しい話はものすごく、すきです)

 

日々、いつもなんだか、ワクワクのなかに、少しのもの寂しさが入り交じっています。

 

やっぱり、ワクワクを大切にしたいけれど、浮かれてはいられなかったりもして。「たのしさのなかに冷静さ」も込めて。誰もが、いつも、どんなときも、ハッピーではないはずだから。たのしさや、うれしさを見つけようとしているはずだから。謙虚でいたいものです。

 

落ち着いて傍観しているように見ていきたいし、書いていきたい、と。

 

ただ、わかるのは、誰もが前向きさを見つけているということ。
わたしも、がんばろうということ。
もう、人生の大きなひとつのテーマは、「機嫌の治し方」だとも思うんです。

 

それこそ、「自分が発揮しやすい環境に整える」ということは、かなり大切に感じています。「調子が狂う」というのも、まさにこれです。

 

微調整がめちゃくちゃ大切に感じています。
ちょっとした「…うん?」の、違和感に気づいてしまうと、気になったら整えないと、適応しにくくなったり、モヤモヤの原因にもなる。
=些細な変化に気づいたのなら、新しく物事をよりよく変換させていけるタイミングなのだと、前向きに捉えてきています。

 

「気づいたことをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて、良しと考えられるように考え直していくマインド」で、これまで乗り越えてこれたような気がします。

わたしの好きな歌手YUKIがいうように、

────
“強くなったほうが楽しいと思ったから
強くなってきたし、

人を許したり、
自分を許したりするほうが

楽しいんだと気付いてきた。”

“生きていることを目一杯享受して、
人生をまっとうしたい。”
─────

わたしも、そう思いながら一日を少しでも良くしたいものです。

 


今日こそは、もっと眠ろう。

 

いつもそう心がけて、深呼吸をして、
携帯の画面の明るさを最小限にして、
うとうとさせています。
それでも、この作戦は大成功です。
さらに、「自分にいつでも眠りなさい」と唱えることには、効果がバカにできません。

それでも、眠れることは幸せなことですね。

そんなふうに今日も問いかけて、
さらに頭の中のスイッチもオフにして。
今日も快適な眠りにつこうと思います。

この曲を聴いてから。

 

みなさま、素敵な夜をお過ごしください。
そして、よく眠れますように。

おやすみなさい!