とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

その時々の移ろいの変化をたのしむのが人生のような気がする

こんにちは、

訪れてくださりありがとうございます。

読者の皆様、いつもありがとうございます。

 

このごろ、家の中にいるよりも、窓を開けた方が、暖かい空気が入ってくるのがとても好きです。春だけの心地よい温度の特権を堪能しています。

 

最近、テクノロジー発展を目にしていくにつれて、人恋しさが募ります。
「古きあるもの」は、忘れずに置いておきたい気持ちが芽生えてくるのです。

 

「人間だからある奥深さ」みたいな「個性」を感じられるものが、人生の流れの歩みみたいなものまで肌身に感じられるから、好きなんだと思います。

 

映画や音楽も、レトロ感がたまらないのも、なんともいえぬ、センチメンタルさや、哀愁とワクワク感があるので好きです。ヴィンテージや古い作品がいまも尚、愛され続ける理由もそのように思える。

 

「気に入って買った残しておきたい本」も、月日が経てば、自分の人生も振り返るように読み返すと、きっと味わいも余計に出てくるはず。見るだけでも、きっとそう思えるはず。

 

紙の本は捨てずらさも出てくるけど、ほんとに大切な本だけ残して、読み返すように取捨選択すると、読み返しやすい。その面、電子書籍は、残りやすく…少し複雑な面もある。

 

読みやすかったり聴きやすいのも、たのしく面白いものは、理解しやすく、噛み砕けるので頭に入りやすいのです。記憶に残りやすいのは、やはりいつも誰かとの繋がりを感じられるストーリー。
そういう目のつけ方ができる人は、話し方もその人の歩み寄り方にみえてしまう。

 

本も「なぜ紙質のが好きなのか」と言われたら、「その本という存在」を書いた人がいるから。現実味があるからこそ、読み応えもでてくるのです。

 

お母さんの味というものもそうで、
特別な人が作ったから感極まるものがあって、より美味しく感じるものでもあるし、

ロボットが撮影した写真と言われても、「なにに感動し、何の記憶を思い返したらいいのか」わからなくなりそう。
けれど、「好きな人が撮ったもの」だと思えば、あれこれ考えが過ってくる── 

 

「愛とはなにか」をAIや機械に尋ねてみれば「知識」は教えてくれるだろうけれど、「リアル」は教えてくれるのだろうか?これも、好みが分かれそうなところなのだけれど。

そういう「考えがよぎるもの、想像が働くもの」が、やはり人生には不可欠であったり、産物にもなるように思える。

 

わたし自身、「考えて見れば〜だ」という瞬間を感じられるように考え直してきたからこそ、救われてきた気がします。
喜怒哀楽もすべて、リアルな世界のなかで、「考えてみれば〜かもしれない」を繰り返し、日々「気の持ち方」を上向きに、そして、感覚を再生する気持ちであったり、改良してみる気持ちであったり──。


結論として、「携帯」という道具は、個人の趣味に沿って必要なリサーチをするのにはもってこい。探すのも、記録するのも「携帯」で完結できてしまうことが、有難くも便利。快適だったりもする。そして、「モノ」自体も。

「携帯で検索」は、自分にとって有効に活用していけるのが極めて最善でもあり、使うときは、「なんのために使うのか?」という理由のもと使いこなしていきたい。

 

自分で調べて良さそうなところをピックアップしたほうが、はるかに充実感も増し、楽しい旅行になるような感覚で、リサーチをして。

「自分で考え、手探りで歩いてみる」という自ら手と足を使って向き合う行動は、人生でいちばん豊かな学びになるし、心の整理に役立つ自分だけに効く、テクニックにもなる。

 

ドラえもんの道具箱」のように、心を健やかに保つための「乗り越える発想力」を、スムーズに取り出せるように、いくつかの対処法を備えておけば、救いにもなる。

 

自分じゃない行動をするような感覚になるからこそ、神経をすり減らしてしまっているのが、疲れのサインだったりする。
「よりよく考えようと迷っていること」は、新しい一歩を考えている証拠でもある。

 

その人の話の内容から伝わるマニアックさ・おもしろさという、個人的な観点を大切にして検索してみたりすることは、学びにもなる。

誰も知らないような情報を学べるものがあるその人そのものの生き方を感じられる文章は、「大切な何かを教えてくれるヒント」が詰まっていたりもする。

 

改めて思うのは、

表現力は、「その人らしさ」を表すために、言葉や文章、表情、ジェスチャーなどで用いられる──

ということは、忘れたくないと切実に願いたくなる。

 

人生「塵も積もれば山となる」という言葉のように、誰かにとっては大したことなくても、「自分にとってはかけがえのないこと」を続けていくように。その感覚の深みをもたらしていくのが、「人生の楽しみのひとつ」になるように思えるのです。

 

それでも色褪せないものは、きっと、わずかなんだろうなあ。