こんにちは、
訪れてくださりありがとうございます。
読者の皆様、いつもありがとうございます。
週末明けの朝は、なんともズボラです。
さて、今回は、
最近の心境みたいなことを綴ってこうかと思います。
どう対応し、どう生きるか
いま話題の「chatGPT」を使ってみました。今後、「注意を向ける場所が変わっていきそう」なように思いました。
いかに効率よく、シンプルに生きてくか──
そして、「新しいもの」と「重要なもの」をますます見極める力も必要に思います。
だからこそ、やはり生身の体験が記憶には残るなあ、と。人と人の触れ合いは少なからず人生で不可欠だな、と改めて思ってきています。
誰かと人生の旅の途中で「こんな話をした」とか、そういう「その人にしか聞けない話」みたいな繋がりが、何ものにも変えられない人生の幸せな思い出、自分の生き様という記憶に残ると思うのです。
よく良く考えれば、「情報」という「知識」だけ学んでも、実践しなくなればいつか忘れていくものです。逆にいえば、「人生でほんとうに大切にしたい経験」は、ずっと忘れない思い出に残ったりします。
テクノロジーの発展とともに、じつはそこまで必要ないモノも生みだされてきた時代でもあったのかもしれない。けれど、その分「過程の中」で得た「考え方」というものは、大きかったのかもしれません。
「モノ」の感動ではなく、
生き様が大切な記憶に残る
日々の思いを噛み締める瞬間のなかで、「これでほんとうにいいのか?」と疑いつつも、考えてみる機会があればあるほどに、「いかに日常に娯楽の感情をみつけ生きていくか」「ほんとに大切なものはなんだろう?」に、気づけていけたりします。
どんな些細なことでも、人生のなかの体験で豊かな感情が芽吹く瞬間をみつけてくことは、自分を深く知れるようでもあり、大切な人生物語を紡いでいける、幸福に影響してきていく気がします。
たとえば、「子供と飴を持ってドライブに出かける」とか、「今日誰かと思い思いに話したこと」とか──
そういう日常にある当たり前じゃない幸せに感じられる瞬間を噛み締め、積み重なることが、何よりの幸福な人生になったりするのです。
「これが良くなかった」「良かった」──に反応するよりも、「日々どう生きるか」「なにをできたか」──ということを考えるだけで、不思議と気持ちがあたたかく、整っていられるように思います。
「見ているもの」を「どう感じるか」で起こる変化
「自分の感情はいつも極めて当てにならないなあ」
と思ってしまうことも日常茶飯事です。けれども、これも半分気持ちの問題として大切なことのようにも思います。
「考え方次第」で「やるがでたり」「やる気をそこねてしまう」ものなのです。──
順調に思えたことが、ある日突然挫折に変わることもあります。
恋愛でも、人間関係でも、家族でもありうることだったりします。
「感情」は、その時の「経験値や考え方」によって、脳と連携しているので、いつ、どう変わるのかは自分次第にもなるし、常に移りゆくものです。
「感情」は、ある日突然湧き上がったかと思うと、ある日を境にウソのように蒸発し、消えていくこともあります。
思い込みによる脳の錯覚は、人間が認識する現実に歪みを生じさせる原因のひとつ、だとも言われているように、「どこに向かってるのか」だけは、おさえるように生きていきたいもの。
「謙虚でいる姿勢」が、いつもどこか心地よくいられる
一番メンタルが安定しやすくするには、「感謝の心」を土台にすることだと思います。
認識する情報を「客観的」に見ることや、自分の「信念や経験」に縛られず、「柔軟な思考」をすること。
そして、相手の立場や考え方にも目を向け、多角的な視点から物事を判断すること。
大切なことは、「誰かに認めてもらおう」ということではなく、「自分の生き方のベストを更新し続けられるか」ではないかとも思ったりします。
自分なりの生きやすくするための「日常の知恵」をみつけてくことで、「人生に意味を持たせていく」こともできたり、「かけがえのないことメモリー」に含まれていくような気がするのです。
結論、
「気の持ちよう」でも変わるし、「どう対応するか」でも変わるけれど、「どう生きるか」を、大切にしたい。
このごろ、わたし自身、「身体と精神の健康」に焦点を当ててくようになってきました。
メンタルから実生活面まで「あら、不思議」と思うまでに変化も見られてきたことなど、
今後も、シンプルに心がけた暮らしを、地道に綴っていけたらいいなと思っています。
みなさま、素敵な一日を🍀