こんにちは。マコです
今回訪れてくださった方、そして、いつも訪れてくださる皆様、誠にありがとうございます。
今回は、「考えてきたこと」、「生きやすくなったこと」としてよかったマインドの持ち方として。綴ってこうかと思います。
望んでしたつもりの行動が、なぜか思うようにいかない結果になることはありませんか?
自分の考え方と行動を完璧に一致させることはできませんが、日々の改善によって「理想の自分」に近づけることはできます。
「誰かとの比較」から、「自分らしく考えていく」ことができれば、ダメージから身を守り、立ち直る力もつけることができます。
こういう悩みに直面するとき、「考え方」にひねりが必要になってきます。
メンタルがブレるのも、「何かの思い込み」があってなかなか外れない、とか、ストレス対策が整わなかったり…
まだまだ自分が考えていない「見落とし」があるときか、考え方を変化させたいときか、だったりします。「マンネリ化」もこのようなときだったりします。
なにかを当てに頼りにしてしまうという面では、「〜なければならない」という思い込みを外していくこと。=自分自身に近づくための手段を探していく「新しい考え方」が必要です。
発想の転換を身につけていくと、視点が広がっていきます。
今まで行動していたような見直ししてみる機会は、大なり小なり考え出したら数え切れないほどあると思います。
“「価値観」のビミョーなズレ”が感じられるときは、改善していかなきゃならないサインだったりします。
この頃の私の発見でいうと、
いざその# を調べてみると、「…あれ?私の思ってた世界観と違う!」という違和感に気づいたのです。
「誰かの世界観と自分の世界観が違うのだな」と思った瞬間でした。
伝えたつもりでも、上手く伝わらない。──
自分の思いと理想が合致しないとか、改善されないとか、誤解を受ける場合もあるのも、伝える視点が違っていることがよくあります。
自分との深い会話という意思疎通(コミュニケーション力)が、上手くしていくことで改善されていきます。
わたし自身も常日頃、「考え方の先はまだまだ奥深いのだあなあ」と思い続ていくかのようです。
だれもが生きてきた中の、「自分なりのライフスタイルの理想像」があります。
振り返れば、わたし自身いつも誰かを参考にしつつも、「同じような考え方に染まりたくない」という意思を持ち続けていたように思います。そこで自分の考えがすべて完結してしまうようで、モヤモヤと停滞していたのです。自分なりのよりよい考え方にたどり着くのが好きでした。
ちょっと意地があった頃もありましたが、振り返れば、「捉え方の視点」を変えることとして、着々と自分なりの思考回路に結びついてきていたのです。
考え方の筋として、考え方を自己アレンジして自分の軸にしていくことは、本質にたどり着けていくかのようです。
例えば、「自分で一から畑を耕して方策を実らせなければならないとしたら、どういうやり方で効率よく、うまく実らせることができるだろうか?」
のような、考えをねり出して行動してみる──。
「え!どうしてそんなに上手くできたの?」と、誰もがコツを知りたくなるはずです。
けれども、結局だれもが助言やアドバイスを受けたとしても、自分で試してみて結論を出すからこそ腑に落ちるものです。
全て鵜呑みにせず、自分なりの考えのベースを更新していくことが、自己成長にもなります。
自分にとっての価値観という“らしさ”を見つけるのは非常に難しいことです。
新しい気づきを生み出していくのは、「なりたい自分を探す旅」のように思ってしまいます。
最近聴いている韓国歌手(俳優)のイ・スンギさんの歌は、人々の葛藤そのものだと思ってしまいます。
“私は何も変わってない私はまだずさんで未熟ですこの世界は私にとってただ難しく恐ろしいものですこれらすべての人間関係の中で笑ったり泣いたりコツを掴んだと言っていますでも物事はまだ慣れていないそしてわたしはまだ理解できません……後悔しないように耐えようとするすべて と私の全て──”
……こんなにも正直な歌あるの?
と、聴く度に思わず感動とともにめちゃくちゃ共感せずにはいられません。
成功してるかのような人でも日々悩むし、
誰もがそうなのですよね。
実際に、「人間は思い込みによる錯覚は完全に取り除けない」と言われています。
全て一度に知っていこうとしなくていいんです。完璧に知ることはできないのです。
少しずつ知っていくつもりで知ることができていけたらいいんです。
この歌を聴いたように、
「あ、今わたしこういう気持ちだったんだ」とか、映画やドラマをみて癒されたとき、やっぱり疲れてたんだな──というように。
わたし自身、いつも「自分を育てていく」つもりでいます。
子育てや、なにかペット、植物を育てる時のような気持ちでいます。成長を見守る、応援する、支える、助けを差し出すように──
ときに、「嬉しくなる発見はなにか?」「虚しくなる瞬間はなにか?」を見つけていくこと。
「考え直して修正してみる」なかで、日々新しい発見が待っています。
「考え直す」=「発想力」
いま考えてしまう自分なりのメリット、デメリット──を、新しい自分なりの考え方にたどり着けるように導き出すこと。
「些細なモヤモヤを変換して考えていく」ことで、「自分が行動する楽しさを見つけられる」と、メンタルをすり減らすのも、疲れにくなる体勢も軽減でき、立ち直りやすくなります。
“日記をつけることの
メンタルを回復させる、整えられる効果”
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毎日の記録をつけたり、文章を書くとき、
書きにくさにも、必ず理由があります。
そこまで自分にとって重要だということに自分が気づいてないとき、自分の気持ちが把握できてなかった、という場合があります。
自分にとって「ときめくこと」になると、手は勝手にスラスラと動き始めるのは確かです。
これが、まさに「フロー状態」と言われる、「時間経つのを忘れるほど作業に没頭し、外から受ける刺激にも気づかなくなる状態」のことです。
何かを見つけていかなければ、書くこともできません。
そのためには、「意識をそらす・ひねる」という「発想の転換」が必要になってきます。
書くコツとしては、
「以前までのわたし」「今のわたし」でもなく、「新しいわたしの視点」を取り入れていくこと──です。
「読書感想文」みたいに、一日あった出来事の総まとめとして整理して考えて綴っていくと、「自己理解力」という「物事を読み解く力」に繋がります。
考え方もその都度アップデートし続けていくのは、あらゆる場合の「対処法」も見つかっていきます。
「あ…、こういう考えもあるなあ!」という想定外の発見のときは、記憶に残りやすいものです。
「感情に届くような影響力」があるからこそ、理解するように書いていけば、実体験として伝えやすかったりもします。これが、脳に記憶されていく瞬間です。脳が更新されていきます。
「意外性」を考えてみることは、「新しい学び・視点」になります。そして、あれこれ思考パターンを考え、組み合わせていくことで、「自分なりのアイディア」という考え方にたどり着けるのです。
“毎日のアウトプットを記録し、また自分なりの文章に言語化していく──”
この2本立ては、かなりわたし自身にとって、脳が鍛えられてきた作業です。
学びになったことを記録しながらアウトプットしつつ、伝えてみる──。
今後も、読んでもらえる方へも、「気づきになるような発信」という循環が生まれたら、それ以上に嬉しいことはないです。
「何をどう考えて生きてけばいいの?」と途方にくれていた自分が、ライティング力を身につけていくごとに、変化が生まれてきました。
文章(読み、書き)から、
・学び
・コミュニケーション力
という生き方まで、
自分自身、そして人生を変えてこれました。
なんとも、以前までが夢だったような、曖昧な記憶にもなりました。
イヤなことも気にしなくなり、いまに集中して前進する気持ちが芽生えたからだと思います。マインドをじっくり考え、変容させていったことで、抵抗あった行動も少しずつ改善しやすくなっていきました。
これからも、そういう「自分らしいマインドセット」の考え方を、わたし自身の日常にあることの観察日記として。
みなさまに少しの参考になるようにと願い、綴っていけたら幸いです。
以上、今回は
「あったできごと」「感じたこと」の学びを、自分なりに言語化し、読み解いていくのは、一番大切なことに気づいていける近道になってきたな、というお話でした。