暮らしを愉しむ

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少し変えてみるだけで健やかになった行動パターン

 こんにちは、マコです。

 今回訪れてくださった方、そして、いつも訪れてくださる皆様、誠にありがとうございます。

 

今回は、「少し変えてみるだけで健やかになった行動パターン」として綴ってみようかと思います。

 

「当たり前」の行動、言動を疑う大切さ

 

このごろ、視覚から脳に伝わるセンサーが敏感になってきたというか、あらゆる物事から察知し、考えを吟味するようになってきました。
 
いったい、この思考回路はどこからくるのか?疑問に思ってみたくなるのです。
 
自分が行ってきた言動、動作をとる理由について驚くほどに何気なくしていたことを見つめていく感じです。あまりにも、何気ない行動が多いかったりします。
 
「いましているわたしの行動」について、あらゆる考えをしてみながら、思慮深くなっていくことは、働かせる神経の使う量が増えてくように思えたりします。
 
子供の頃から考えてくにつれて、「性格」が変わるように、「脳」は、使えば使うほど鍛えられていきます。
 
良い方向へ使っていくマインドになれば、さらに脳は成長するとも言われていますが、これは好奇心を持って考えていけば、関心の対象が変わる=心境も性格も変わっていくことは、実感をもって理解できるてくように思います。
 
わたし自身、「新しいこと」を考えてみたり、「面白いこと」が好きなんだ、 と年々自覚してきています。“疑問に思ってみること”が、秘訣のように思っています。
 
 
 

何気ない行動を見直す学び

 

 

 
天気に感情が左右されることも心理的に起こることと言われています。
 
色、記号、画像、動画、などの視覚から見える動作などで、人の心は揺さぶられますよね。曇りや雨の日はなんだか、センチメンタルになったり、晴れの日は気分が良くて行動も軽くなったり──きっと、みなさんもよくあるはず…!
 
絶えず、外からの無数の情報に気を取られたり、心が動くことには、何かしらの心理が働いているように思います。
自分にとって起こる感情はなにか?を、思慮深く考えてみることは、少なからず、いままで生きてきた経験値という自己分析結果に基づき、物事を自分なりに適切に判断し、行動していけるような感覚になってきたように思います。
 
こういう体験をすると、「行動の違和感」に気づきやすく、「情報」にもちょっと敏感に察知して考えてみるようにもなってきます。
 
結局、誰かと比較して考えてみるからこそ、自分なりの学びや気づきを得られますが、
基本的に、不自然な行動にしかみえない特にInstagramなどのSNSで見られる行動・撮影法をみていると、“演出のしかた”に違和感が過ぎりやすくなります。
良くも悪くも、感情に働きかけていることなので、他者と自分を比較して、どう行動してくのがいいのか?も判断できやすくなります。
 
なぜ、自分にはない振る舞いをみてしまうのか?──
これは、単なる憧れ意識だけでは片付けられない理由があるように思います。
 
いままで思い込んできた自分と誰かを比較するにしか値しない行動は、“自分との生活感のギャップ”が、気持ちを低下させてしまう原因ではないか、と思っています。
 
なので、気持ちが落ち込むあえて見なくてもいい情報を見てしまうとき、疑問やモヤモヤが生じるのは、ごく自然な心理なのだと思います。
 
《関心の対象》は、“良いイメージを抱く方へシフトしていくのが最善”であり、さらに“自分なりの考え方に結びつけていく”のが、学びになっていきます。

 

 

わたし自身も、「内側に起きている感情や問題視してしまう思考を探ってみること」が、自分に気づけ、行動を変えてみる一歩にもなってきました。
 
このごろは、「誠実」さは、行動、言動という“振る舞いかた”も、よく現れているのだなあと思ったりします。
自分自身のいままでの行動で、大切な部分に    気づかず、見落としていた部分があったのだと、身を引きしめています。
 
やはり“自分自身のためになる「行動」をすること”が、“モチベーション維持”になりますし、あらゆる意識の転機にもなっています。
 
 

体験にフォーカスする学び

 
 
最近気づいたモヤモヤ行動で改善したことは、
 
「写真を撮ることは、ほどほどにしたいな」ということです。
 
というのも、
 
これまで何度か「写真を載せなければならない」と思うと、考えがギューッとオジギソウのように縮こまってしまう感覚になるような体験をしてきました。
 
撮り方も気にくわないのもあるし、見栄を張ってみているどこかに自分がいるようで、「いったい、何用に撮っているの?」と必要性を見いだせなくなったりもしました。
 
これは、フィルムに集中し、自分が見たい景色から感じることに集中できない、意識が働きにくくなる、という行動に理由があるのだと思いました。
 
行動しているときに、考えたくなるのに、
撮影していたら気が散ってしまいます。
よく、“旅行の際、写真を撮ることに気を取られず、実際の景色をみて感じた方が記憶に残りやすい”──という心理も頷ける。
 
写真を撮るよりも、「いまその時のわたし」をじっくり味えるし、記憶は、視覚や感触から考えるから深く感じられることを、このごろは、よく理解できてきます。
(なので、撮影用はこの瞬間…!と思ったときだけ、撮るようにしています。)
 
「性格にない」行動をとることはできるけれど、それをするのは疲れてしまいます。
 
行動の振舞いも自分らしさがでないと、負担になって疲れてしまうのとおなじ原理で、「どの行動に集中できるか?」によって、考えが広がりやすくなります。
 
“自分にとって考えやすい行動パターン”があるんだな、ということを学んでいます。
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自分なりの行動をふるまう姿勢が
自分なりの人生の幸せに繋がる
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その行動、言動は、一致しているか?
適切な態度にコントロールして、見直すようにしています。
 
人間関係のコミュニケーションにおいても、ありのままの姿や考え方から、その人の生き方や性格も知ります。「素直さ」はいつまでも持っていたいところ…!
 
自然の効果もそうです。自然の景色だけは、映像や写真で目を奪われてしまうのは、「雄大」で、変わることなく存在してくれているように思えるからもあるでしょう。

景色のいい自然が見渡せる食事がいつになく美味しく感じられる理由、
遠足でお弁当が美味しく感じられた理由、
はなぜ?──
とか、そんな“幸せに感じられるとき”を考えてみると、「人が幸福になるには、何を求めているのか」が、わかりやすいかもしれません。
 
自分で無意識に違和感を覚えていた理由は、なんだろう?と、事柄を見つけ、改善していく運動を──
 
振る舞い方も自分の映し鏡として反映するから、自分なりの行動になっていることと、振る舞い方を整えるように。
 
“慎重に丁寧に考えて、自分にとって、かけがえのない瞬間の記録や、行動を”改めていきたい日々です。
 
何を欲し、選ぶか、は自分次第になります。
 
どんな方法で自分を満たすのか?
自分のその行動にどう思うのか?
 
その疑問を問い、自分なりの幸せを考えていくと、「自分なりの行動の選択」が、より鮮明になっていくように感じられます。
 
 
自分には真似できなくて、
自分にできることを探す習慣を
心と身体をいたわる質素な暮らし──
 
そういうシンプルライフは好きですが、
根底にあるもっと大切にしたいのは、ほかにあったりします。
 
健やかにいきるために大切にしたい経験や記憶を考える暮らし、
幸せな生き方を考えてみるための改善記録、
暮らしの幸せを感じる瞬間の記録、実践記録
といってもいいかもしれません。

まとめ

 
日々の積み重ねが、大きく自分を動かして、新しい前向きな気持ちに変わってきました。
 
“誰かと全くおなじ行動はできないし、性格がちがうからこそ、自分なりの行動を心がけて振る舞う姿勢を”。
シンプルに、行動を変えてみることは、心が動き、基本的な大切な何かに気づきやすい。
 
 
行動、言動は、自分と一致しているように思えるか?ストレスの原因となる行動を改善してみることが、一番の気づきになってきました。
 
適切な態度に扱えるように見直す、微調整していくのが、学びのコツのように思えています。
 
結局、これも暮らしの一部には関わってくるけれど、「暮らしのなかで何を大切にして、考えていくのがいいのか?」を日々考え直し、改善してく作業が、一番の発見となりますし、幸せを感じられる瞬間のように思えたりします。
 
まるで、その瞬間はドーパミンがでるのを感じられるような、幸福感に満ち溢れ、「またがんばろう…!」という気になれるのです。