こんにちは、マコです。
このごろ、身も心も
シンプルライフ志向になってきました。
ここでも、何度も何度も言ってしまいますが…!
やはり、
考え方をより複雑にしないで、
世の中の動きをよく考えてみる、
ものの見方が大切なように思います。
なので、今回は、『柔軟に生きるためによく考えたい暮らしのこと』part2として、
綴ってみようかと思います。
自分にとって有効な知識の取り入れ方を選ぶこと
もっと便利になればいいと思ってきたのは、
いつも実用的なもの。
人からモノも進化してきたにつれて、
新しい技術が増えると、効率よく、吸収できるスピードや満足感という質も上がってきた現代──
でも、ほんとうに便利なものだけなのか?
そう考えてみると、
いまの多様性な情報社会が顕著な時代には、「気に取られてしまうこと」が多くあります。
“効率よく動けるように考える大切さ”を感じています。
いったん立ち止まってよく考える力をつけること。
結局、「発想力」って大切だよね、
と感じています。
行動する理由の真理を考えてみること。
動いて、立ち止まって考えて…動いてまた考えて…の繰り返しから、
物事を自分で判断して受け入れ、必要なこと、必要ないこと、を見分めて、取捨選択した行動を選んで、健やかに生きること。
“暮らし方を変えると、生き方も変わってくる”ということ。
わたし自身も、感じています。
行動と活動の効率よくなる時間の使い方を
よりよく、健やかに暮らせるための行動を心がけていくと、
“すべて心も体も行動と繋がっている”のを感じています。
・作業しながら考える
・いったん別のことをしたり、リラックスしてみる(その間に考えが再処理される)
・一旦作業をとめて考えて、整理してみる
携帯にも、メディアに触れず、
暮らしのなかの作業を一旦止め、
無音でじっくり考えを整理する時間から
考える力がつくように感じられます。
・また同じように考える作業をしてみる
たとえ落ち込んだとしても、
ありのままの自分を受け止め、
前向きに捉えて考えてみる時間をつくることで、
自分を苦しませる考え方も改善できるようになってきました。
人生にとって必要なことは、
精神がイキイキする行動
熱心に取り組めることというよりも、
取り組む意味を見いだせるかどうか、
だと思っています。
わたし自身も、ついしちゃう、
「ながら行動習慣」を見直しています。
掃除や断捨離をする際に
なにを大切にするのか?を知っていくと
より心もすっきりするはずです。
ただ、キレイにしただけじゃなく、
なんのために、なにを、
キレイに片付けたいのか?
みないな考え方になると、
より明確に自分のためになっている
「行動」や「考え方」ができてくようです。
目新しさを好む
これは人間の本能的な部分であるし、
=生きるうえで変化はつきもの。
何を大切にしていくか?
の方へ行動する時間が必要だと思っています。
なにを優先していくか?
を考えることは、
自己の意思が鈍らない感覚にするコツ。
そのために「読書」をすることは、「発想力」みるみる高まり、必要な情報を選んで読むことで“自分自身を知っていく機会”にもなります。
どこから目線で見ていくのか?が大切
このごろ、いつも“かなり近い距離で物事をグッと見ていたこと”に気づかされています。
考える目線が、“ひとつの物事に視点を合わせすぎて気を取られる”と、“柔軟に考えられず、
大切な視点を見失いやすかったりします。
あたかも自分ごとのようにそそのかされる気持ちになることは、一旦立ち止って冷静に考え直してみる必要性を感じています。
距離のとり方が大切なように思います。
ただ、“存在しているもの”として、みて考えていくと、整理がしやすかったりします。
一人一人がひとつの村のリーダーとして考えてみます。
「あっ、あそこの誰々さんは、こういうことしてるんだ」と、客観的に考えられたりします。
じゃあ、自分はどうするのがいいかな?
と意識をそらして取り組むのが、自分の生き方になってきたりします。
いまどき、ここの場所が人気だから行ってみようかな?
でも、私はこっちの方に行きたいとか、
なんなら、旅行するよりも、
家で好きなことをしている時間が、はるかに有意義だと感じるなら、そっちの方がはるかに良い。
協調性をもちながらも、個々を大切に尊重していくのは、非常に大切だと感じています。
気持ちのアップダウンのコントロールも
行動して適応していくのが学びになる
そもそも何が?誰が?原因なのか?
明確は根源もなければ、経緯も不明確です。
ひとつのことにこだわらず、どんな考え方をすれば、好転していくのか?を予想し、変えてくしかない、と考えていくことが、「脳トレ」みたいになって、あらゆる考えの発想がつきやすかったりしてきます。
気持ちのアップダウンを自分で察知してコントロールして乗り越えられるようにすると、
例えるならば、落ち込む考え方へ適応する能力、免疫力があがる感じがします。
なんだか、“よく考えていくにつれて、思考が育まれる”のを感じます。
例えば、昨日、子供たちと外で遊んでいる時のことです。
子供たちがバッタを捕まえ、飼育ケースに入れてしまいました。
そのあと、ちゃんとバッタを放してあげるかな?と見守りましたが、そんな気配はなく…
このとき、考えました。
もし、自分がバッタだったら?
こんな閉じ込められた怖い状況からすぐにでも出して欲しいはずです。
同じ状況で考えてみて、対処してみると、
些細なことで、満足はできたりします。
「あぁ…よかった、
一匹の命を救えた」と思ってしまいました。
そんなふうな姿勢で学んでいくことは、
「見方の意識」を劇的に変えてくれたりします。
「変えるかどうかは、結局自分次第なんだな」と、つくづく思います。
どんなに大変に思える状況だとしても、
“ひとつの苦しめている考え方を取り外す”だけで、「また乗り越えてこう…!」という気持ちになれたり。
そんなふうに、日常の些細な視点から、
点と点がつなげて乗り越えていく、
この頃です。
ピカソの言う、
“人生において、自分がなにを求めているのかを知るには、何かを始めてみることのが一番だ”という言葉──
わたし自身も肝に銘じながら、人生観察するように、過ごしている日々です。