コーヒーと暮らしを愉しむです。
今回訪れてくださった方、そして、いつも訪れてくださる皆様、誠にありがとうございます。
今回は、約3年間記録してきたことの
振り返りとして綴ってこうと思います。
記録することが、前向きに生きる人生の考え方を作ってくれたように思います。
その意味も込めて。
記録することは、人生に何をもたらしてくれるのか。
わたしは、文章を書くこと、
毎日自分の携帯にメモすること、
を、約3年前から始めました。
では、なぜ毎日記録をするのか?
「書くごとに自分の思いに気づけるから」「人生で大切なことを拾うことができるから」
まず、これに尽きると思っています。
自分の暮らしから、本から、誰かから──
感じられた箇所を自問自答してみる習慣をつけること。
じっくり自分の思いを並べるように
言葉に書き記していくことは、
「生き方の羅針盤」を整える方法として、
確実に役立ってきたように感じられます。
かといって、いつも「選択」や「見解」は、
不確かで、鮮明ではないものです。
実感できることといえば、
記録を重ねるごとに、
自分の興味の先、ライフスタイルの方向性という
「物事の分別の判断の仕方」がしやすくなってきた
ように思います。
人はどうしても意気消沈すると、
やる気が起きなくなってしまいます。
その時間の回復力の速度を早めたり、意識のモチベーション維持に繋がっているのは、
明らかに「記録」を始めたことによって、
成果は現れているように感じています。
朝の一日からメモをしたいことを記録し、
夜にまとめる。
まとまらなくても、また翌朝から昨日記録したことを思い返し、考え直すことで、気づくことがあります。
このメモ継続行動のおかげで、
意識していることを思い出しやすくなる。
また、問題を解決するための考えごとを理解するために、考え続ける思考を持つことは、脳に影響を与えることは、すでに示されていることでもあります。
記録し続けていると、体感として実際に、
この仕組みがよく理解できるようになるのです。
このように、記録しながら伝える文章も考えることは、
自己内観と文章スキルの同時を成長させることができる、
効率のいい方法でもあります。
記録の取り組み方ポイント
しばらく立ち止まってよく考えてみること。
むやみに書くのではなく、ひとつひとつ…
「なぜ?」を熟考しながら、整理する時間を持つことで、頭の中に新しい気づきを生み出すことができるのです。
よって、文章の書き方のスキルにも繋がる。
疑問を考え続けてみることからの発見がある
わたし自身の以前の事例でいうと、
好奇心が働く事柄に対して、いい!と思うと、直ぐにそこに向かいたくなる性格です。
これが、今まで少し厄介でもあり、
取り組んできた反省点も得られた結果でもありました。
いま思うのは、
その行為の有効性を得る行動の意味を奥深くまで探っていなかったこと。
いきなり突破しようとしすぎていた先走りパターンが多く、少しダメになると、「はぁ、やっぱり自分には無理か」と諦める……
の、繰り返しでした。
例えるなら、取扱説明書を読まずに使ってしまい、イマイチ機能の良さ、使い方が分からない、といった感じです。
自分に合った方向性が違ってるのではなく、
“深く考えずに使っている”ような感覚だったように思います。
何ごとへも関心ができたり、
夢中になることも大切ですが、
ムダに消費しすぎるだけのコストの悪さが原著に目立っていました。
何のためにやっているのか?
いい!と思うのは、何が良いのか?
それは、ほんとうに必要なものなのか?
ここを、よく考慮した後、
本質にあるやりたいことの意義を探ってみる必要があることに気付かされてきました。
継続して問題に取り組む意欲と、取り組み方を、常に修正して学び続ける大切さ、を感じています。
ここを考えてみることができたのも、
メモして、文章で伝える──
のセット作業が、私にはとても有効でした。
そして、
書いてみることで気づいてもらえ、
少なからずの運とともに、
自分なりの結果と学び、に繋がっています。
人生のモヤモヤの細部をおろそかにしないために、じっくりと考慮し、「記録」する時間を習慣化させることは、
難しいと感じてきた意識の扱い方も、
「記録していくスキル」が身につくに伴い、個人の人生にとっての深い興味や意義という幸せのあり方を扱うノウハウを学べてくるように思います。
日々自分の心をよい方向へ動かし続けるため、毎日背中を押すために、
この記録するという心がけによって、
どれだけ持ちこたえられてきたのでしょう。
書き進めていくほどに感じられます。
“「継続は力なり」”と。
生き方の問いかけで考える視点が変わりだす
日々考えたいことは生まれます。
けれども、だれもが、
人生の根底には何を考えていたいのでしょうか。
きっと、人間の思考が働くかぎり考えることは、「よりよい生き方」をするために、ゆれ動く「葛藤」との上手な付き合い方なのかもしれないと思っています。
その葛藤とうまく付き合っていくために、
「読み書きすること」は、ひとつの有効的な手段です。
自分自身に疑問を投げかけながら大切なことに気づいたり、学べる時間にもなります。
そして、自分を励ますことにもなります。
自分の言葉がいちばん響きます。
ときには、「まるで私と同じ意見だ…!」
と感じられる素晴らしい作品、言葉に出会うことで、学べることがあります。
けれども、いまでは、“自分が自分自身へ問いかける言葉以上の効果はない”と思います。
これも自分で記録した言葉を読み返すのが、
一番自己整理しやすいからです。
自分で書いた文章が読みやすいという心理もここから働いているように思います。
周りから探して参考にすることは必要ですが、そのぶん労力も使います。
ときには、周りから探しても見つかりにくいもので、見落としてしまいやすく、
余計な考えを混在させてしまいやすくもなります。
自身が、「何を考え、思ったのか?」
を見失わないためには、
自分の声に傾けてみることが、はるかに物事の選択がしやすくなる。
周りからさがすのをやめたとき、
探したいものから探すとき、
自分のなかで見つかる現象は、
起きやすかったりもします。
いったい、自分自身の人生として、
何が成功なのか?
成功をどう捉えるのか?
成功は大なり小なり、
自分のなかに経験として秘めていけさえすれば、それは、「成功」になる。
「内なる成功」は、
言い換えれば、
「内側の幸福」に繋がることから。
のように思います。
そのために記録習慣をつけることは、
良い方向へ生きる視点が変わってくるように思います。
《暮らしの小話》
この頃、まだまだ寒暖差があるなか。
冷えやすいので、生姜湯を購入してみました。