暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

豊かな生活への改善法(時間の使い方編)

 

コーヒーと暮らしを愉しむです。

今回訪れてくださった方、そして、いつも訪れてくださる読者の皆様、誠にありがとうございます。

 

今回は、「備忘録」として習慣の見直しのことをお話してみようかと思います。

 

情報の取り入れ方は

人生に役立つことから

 

このごろは、視覚から、耳から入ってくる情報には、ちょっと要注意したいな、と思ってきました。

 

たくさんの情報を見てみるから、何か得られるものが大きいとは限らないということ。

 

ときに、人混みのごちゃごちゃ感に酔ってしまう人、(もちろん私)も、こんな理由からきているんじゃないかと思います。

 

どうしても、気を取られてしまう状況になる=情報過多に陥りやすくなり整理が付きにくくなるということ。

 

そのぶん、やはり心で感じられる文字から情報を取り入れることって、余計なものが入りづらく、見たい部分へもフォーカスしやすかったりします。なので、読書に時間を注ぐようになってきたのもこういう理由も含まれています。

 

 

SNSも見る分も取捨選択するようにあらかじめ見当をつけて気をつけて見るようにもなりました。

 

一見人気があるようで見てみると、うん?と湧き上がる感情も、自分に役立つかどうかを疑っているときのお知らせだったりもします。

 

世間的な評価があるようなフォロワーといいね!の数字に意識されてとらわれず、自己評価と他人評価とのズレをよく考えたもとに、ほんとうに大切な知恵にしたいことを学ぶ大切さ。

 

支持されているかのように見えることでも、悩んだり疑いをもつ情報には触れないこと。

自分の人生観で吸収できることに対して、積極的に取り入れるてみること。

 

豊かにしてくれる基準はモノではなく、場所でもなく、その人という存在のあり方という心づかいをみるようになりました。

影響を受けたい先から見つけるように。

 

自分の人生にとって、本当に必要なものは、最低限必要な衣食住ができる長持ちするものと心地よく暮らすための大切な心構えになっている気がしています。

 

 

例えるならば、

 

この期間にセールだから買っておこうかな、と思わず買ってしまうより、買いたいときに気に入ったものを買って補っていく快適で穏やかな暮らしを心がけるようにすること。

 

言い換えてみると、

 

誰かとどこかへ行ったから、大切な思い出になるわけでもなく、誰かと何をどのようにして過ごしたかが大切な記憶に残ります。

 

そのように、方法や場所、モノにとりわけこだわる必要もなく、大切なことは、過ごす時間が幸せに思えたかどうか、だということ。

 

というわけで、過ごす時間の使い方をよく考えたくなる、このごろです。

 

誰かと同じように、「しなければならない」はなく、自分ができることにもならない。

受け入れるか、受け入れないかも自分自身に尋ねてみて、取り入れたいことだけ積極的によく考えてみること。

人格者として尊敬できる生き方のある人から模範として学びがあるということ。

 

そこから、

 

どこに意識を向けて時間をどう使うか?

意識の向ける目線を考えることが大切だな、と感じています。

 

意識まとめ

 

︎︎︎︎︎︎☑︎世間的な評価と数字にとらわれず、

自己評価とのズレをよく考えること。

↳なぜわたしはそこに関心ができる?

なぜ、それには関心や好意を抱かないのか?

自分自身に問いて必要な考え方を探すこと。

 

 

︎︎︎︎︎︎☑︎誰かの暮らし方、所有物を参考にするというより、その人の生きる考え方から学びたい箇所を自分なりの生活観にあてはめてみてアレンジしていくことで、自分なりの生き方になる。

 

悩みが生じるような頭の中をあえてごちゃごちゃさせない環境づくりを。情報の取捨選択をし、大切なことを見渡せる時間の使い方に意識を注いでいくこと。

 

 

 

幸せに感じられる時間の使い方

 

携帯電話のオフ時間を

 

このごろ、情報を意図して断ち切る時間の必要性感じています。

 

というのも、携帯を触る時間と使い方を工夫してみたくなりました。

 

理由としては、携帯から必要な情報を探すために、没頭しすぎてしまうということ。

そして、あれもこれも情報を取り入れすぎて

労力を余計に使ってしまうということから。

 

 

携帯があると、どうしても「今すぐしなくてもいいこと」に気を取られ、自分とは相反することとの葛藤も生まれたり、混乱しやすくなる状況を作る時間に費やしてしまうことが多かったからのことです。

 

そして、時間をだらだら続けていても、一日のなかで使う時間の質は上がらないことにも気づいてきました。

 

質を上げた時間を過ごすためにこそ、意図的に集中した環境を作り上げることの大切さを感じてきました。

 

取り組み方を変えることで、自分にとってとりわけ必要ではなかったことが見えてくる。そして、集中したいことに集中する力を鍛えることができるようになってきた気がしています。

 

そこで、一日のなかで必ずしてしまわなければならないことと、今日中にしなくてもいいことの時間の使い方を意識して分けてみるようになりました。

……かなり気を取られていることが多くあったことに気づき、修正中です。

 

 

なにを必要と基準とするか?については、生きるために必ず必要な活動とそれを満たしてくれるような活動の時間の割り当てになってくる気がしています。

 

どこに、どう時間を注ぐのか?

意図する時間の使い方の意識がけをすると、なにがほんとうに大切か?必要か?

が見えてくるようにもなり、集中して注ぎたい部分の再確認もできる──

時間の使い方も快適になれてきた気がしています。

 

あえて情報を取り入れる時間を絞ること。

それでも、気になった関心事や必要な情報を仕入れる時間は取り入れる時間も必要です。

 

そして、休む時間ほどあれこれ自己整理がつきやすく、見つめ直す時間にもなります。

 

取り入れる時間と考えて過ごしてみる時間と余白を取り入れて休む時間のメリハリを確保することで、快適でシンプルな暮らしに近づけてきたように感じています。

 

意識まとめ

 

不快さというストレスのもとの改善を

 

それは本当に自分にとって良い影響を与えてくれていて自分の生活方法に合うのか?幸福を与えてくれたものなのか?──自身の心の平穏を乱すような悩む時間の使い方の再確認と整理整頓を。

 

 

一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている。

- ニーチェ -