縁とは、互いに心を紡ぐこと
時間は有限だから、感謝して生きる
ここ数ヶ月前、偶然SNSで知り合った韓国の女友達ができました。
かれこれ10年ほど前から韓国文化には関心が多く、“韓国人の親しい友達が居たらいいなあ”という思いがいつもどこか奥底にあり、待ち望んでいたことでもあったのだけれど、
実際問題…叶うことも難しいように思えていました。
けれども、この度よい縁ができたように思います。
話していて思うことは、
それぞれの国に育ち、生き抜いてきた境遇は違えど、とりまく社会の中で葛藤する模様はどこかやはり似ているということ。
“思う部分” が重なるように思えたら、縁が生まれるきっかけに繋がること。これは、世界中どこも共通なのだと。
“関心事が同じ”という共通点が多くあるように思える部分は、意気投合もしやすい。けれど実は、“苦く感じると思う部分”という体験談が重なり合う共通点が多くあるればあるほど、更に深い縁を感じられるんだと改めて感じられている瞬間──
そして実際に会わず文章だけで意思疎通をしていたとしても、こんなにも意気投合できるのか?と感嘆する思いになる。…やはり、言葉は魔法のよう。
このように、いつどの時代でも言葉から関係を紡いでゆく。
“伝達を通して回避できることがある。”
いつ、どの時代も、
言葉も伝達を通して、
送る、送られる、という
心救われるチカラが宿るように思える。
共有できた場面を多く感じられるほど、互いの幸せを感じられる部分も多く重なり合う機会へと繋がるそんな作用が働いてくるように思えるのです。まちがいなく、これも互いによる言葉から、生まれてきたもの。
そして、個々が億劫に感じる部分も、耐え抜いている部分も、日々の慰めとして共有できたのなら、幸せを感じられる場面にも変わってくれるのです。
…よって、心地良さを感じさせてくれる場面の機会を多く与えてくれる人ほど、やはり縁は長く続くよう。
そして、いつか自然に移り変わってしまう縁もあるだろうけど、いましかない思い出は、いくらずっと大切にしたくても、いつか褪せてしまうこともある。
時間は有限で、生がある限りなのだから。
いま、共にかけがえのない時間をすごしていると思える瞬間を大切に、噛み締めながら感謝して生きていきたい、と思うこの頃です。
彼女が、最近読みたかった韓国エッセイ本『言語の温度』/韓国版をプレゼントしてくれた。
読書の好みから話までよく合うみたいで、
そして、心づかいがありがたい。
さっそく、“本物に感じられる”原書を読んでみた。
私たちが紡ぎだすひとつひとつの言葉には、それぞれに固有の温度がある。心地よい温かさで人を癒す言葉、熱すぎたり冷たすぎたりで誰かを傷つける言葉…日々の何気ない会話で発する言葉の重要性について綴られていました。
韓国でもベストセラーだそうで。
韓国の友人も知っていて改めて送ってくれた本でした。
とくに、「愛という言葉はどこから来たのか」の目次がすきで。
「人」「愛」「人生」という言葉の類似性について。人は“愛をなして“生”きていくこと。それが人生ではないか──と。
著者から語られるさまざまな“愛を身近に感じられる”エピソードが満載でした。
心地よい人間関係への努力したいメモ
・互いに似たような経験の場面から、共通点を見出し、話してみる共有をすることができる関係を。→互いの存在の励ましの言葉を紡ぐことができる関係に努力を注ぐこと。
・理解して、受け入れる、感謝する、丁寧に関わり向き合う姿勢を忘れないこと。
・理解しようとする意識の言葉かけで、救われたり安心できるという居心地のいい関係を大切に。
韓国語版