暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

最低限必要なもので豊かに生きてくために考えて判断する基準のこと -暮らしの手帖vol.4-

こんにちは。

コーヒーと暮らしを愉しむ です。

 

そして、たまたま訪れてくだった方、いつも訪れてくださる読者のみなさま、誠にありがとうございます。

 

 

このブログは、

らしく生きるための考えを豊かにするために、

そして、日々を愉しむための記録として… 

暮らしの大切な気づきとエピソードを綴っていきます。

 

今回は、

 

今回は、“環境づくり”について、綴ってみようかと思います。

 

 移りゆく暮らしのなかに、いつもほんの少しの心地さと安心できる場所、時間は、必要

このごろ、安心感を感じる部分を自ら作り出す環境を整えることの影響力は、生命エネルギーを高める重要な役割をしているのだと肌身をもって感じている気がします。

 

 

たとえばそう感じる場面だと、

わが子男の子2人ともに、お母さんという存在のわたしのそばに近寄り、ごく自然にくっついて触れてくる。(寝るときになると、さらにピタリとくっついて寝る癖)。

何か困ったときには、「お母さん〜」と呼ぶとき。

 

安心感を求めているときなんだなあ」と思えたりします。

 

その子なりの自身の安心領域、頼れる存在を求めるために、スキンシップという表現のカタチで共有し合い、関係を築き上げる行動になっている気がするのです。

 

これは、外側のモノから感じた心地良いと認識したものを、自身の内側の安心感という領域として感知して取り入れようとする考え方によるものかもしれません。

 

自身の心の元気エネルギーのために心地よいテリトリーをしっかり形勢し保持していたなる。これは、心理的安心作用を保つために本能的機能が教えてくれているかのように思うのです。

 

なので、内側と外側からの個人の安全テリトリーを確保する需要と供給の関係は、安心感という信頼関係に繋がる必要な要素だと改めて思うようになりました。

 

自身から受け渡すものと相手から受け取る安心感という需要と供給の相互関係も必要な関係構築になってくるように思います。「この人なら、頼れそう」という人が少なからず居たら、生きる上で心強いということになる。

 

相手を振り回している、振り回されているという意識的な考えをすることなく、互いの成長のため、新しい経験に繋がる学びの時間へと人生の充実感を費やせる関係は、思いやりを持ち合う関係にあるからこそ、互いに継続し合える信頼関係が築ける努力ができる関係として成り立っているのだと思います。

 

互いの人生の楽しみ、心の充実の発展に繋がる時間を送るために、努力できる信頼関係が築ける相互関係にこそ、安心感や心地良さが育まれていき、真の心の充実という生き方に大きな影響を与えてくれるようだと。

 

だからこそ、内側を作り出すのも、まず、外側から構成すら自ら作る需要と供給なしでは、心の豊かさへは難しいと感じるのです。

 

生存への活動において、最初から警戒なしになかなか快く物事は進められません。様子見をしてみるという観察してみることから、行動に移していくことも肝心。

けれども、警戒してばかりでは、物事は進展させられないもの自身からも工夫して努力して確保するからこそ、身の回りの安全確保という道筋は得られるものでありそう。

 

そして、身の回りのものに心地良さを感じることに慣れてしまうと、あえて行動を疎かにしてしまいがちになってしまいやすくなる

 

心地良さを感じつつも、あるモノに頼りすぎることは、本来生きるための感覚を鈍くさせてしまうことにもなりかねない。

 

なるべく穏やかに過ごしていきたい

 

けれども、そんな保障はない。

 

なので、

腹に力をいれながらも気を緩め、柔軟に生きていくこと

 

だからこそ、生きるための緊張感は常に持たなければないという葛藤と希望の折り合いが入り交じり、常に頭の中を複雑にさせるのは当然なことかもしれません。

 

だからこそ、今からできることを

 

価値観の基準は時によって移り変わる。

そして、時代とともに変わりゆくからこそ、基準にも対応できるように、その都度バランスを保てるように暮らしを見直しつつ

 

今まで考えて生きてきたことはなんだろう?

 

本能的なものなのか?

それとも、自身が宿した常識なのか?

あらゆる情報の元の思い込みなのか?

 

よく考えながら、脳のなかの常識の枠を外していくように、

自身の生き方を見失わぬよう

こっちへ行きたいんだけど、ここへ寄ろうか?こうしようか?

その都度良さそうな条件へと臨機応変に対応し続けてくこと。

 

いつも何も、同じ場所で存在しているわけではないからこそ、生きるために自身も留まってはいられないのだから

 

人生は旅。

いつも、心地良さとともに、なるべく身軽に、臨機応変に。

実践しながら、希望が生まれるように。

という心持ちでいたいものです。