とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

一日のなかに心地よい習慣を取り入れる“ご自愛ケア”を

こんにちは。コーヒーと暮らしを愉しむです。
主に“書く、読書、珈琲時間、……から整える心地良さと豊かさを得る過ごし方、そのほか日々を愉しむモノ、暮らしから学ぶ、大切にしたいエピソードを綴ります。

そして、たまたま訪れてくだった方、いつも訪れてくださる読者のみなさま、誠にありがとうございます。

 

 
今回は、あらゆる日常の場面で感じられる“豊かさを得る過ごし方”の一コマをご紹介してみようかなと思います。
 
自分の性質に合った暮らし方とモノの選び方の工夫が、心の充実を高める

とりまく環境での幸せの基準に必要な条件は、人それぞれ。だからこそ、“自分の性質に合った暮らし方とモノとの相性も肝心”。
 
ポイントとしては、大きく2つ。
一つめは、“動きやすくなる、手に取りやすい配置にすること。”2つめは、自分のライフスタイルにピタリとはまるような、納得できる快適になる基準で、モノ、道具を選ぶこと
 
“日々の過ごし方、こなす作業という1連の流れのルーティンがスムーズに運び、自分なりの豊かさを感じられる配置の工夫を心がけて”。
不便さがなく、心地よくなるモノ×モノとの組み合わせを、お気に入りでカスタマイズしていくことが、何よりの幸せと快適を生む気がしています。
 
 
この配置の仕方にさらにプラスして、自分の家に置く身の回りのモノたちを、“見るだけでも幸せで、癒される、元気がでる、そんな愛おしくてたまらない好きなもので、揃えていくこと。かつ、旅先で暮らすように、必要最低限なモノだけで物をなるべく持たない暮らしを心がけ、整え、工夫し続けること。よって、生きるなかで本当に大切にして、こなすべき作業、考え方が際立つようにもなってきた気がします。
 
 
幸せの些細な捉え方を積み重なり合わせで、幸福感は大きく膨らんでいく…だからこそ、過ごし方が非常に大切になってくるということを、ひしひしと感じています。
 
買い物で満足を得た気がするけれど、根底にあるのは、“心の充実”。自分なりに効率よく、快適に過ごせて、幸せと充実を感じられるモノを基準にして、選ぶことが大事。模様替えするときのように、既にあるものを少し変えてみるだけで、新鮮さや新しい発見に繋がるように。いつも“工夫”によって得ることができる新しい視点を大切にしていきたいです。
 
一日が心地よくなる余白を生み出す
生活リズムを習慣化させて整える工夫

体内時計として重要なのは、体の調子が良い状態を維持できるような、“一日が心地よくなる習慣を取り入れるリズム作り”だと思ってきました。
 
 
まず、一日の溜まった疲れや凝り固まった頭を眠ることで休ませること。そして、朝は一日の始まり。起きてすぐは、頭の中がわりと空白のあるスッキリとした状態。“さあ、何を考えて、過ごしていこう?”と、一日の抱負、やりたいことリストを探る時間に最適です。だからこそ、一日の始まりが肝心。健やかな心を育む考えを左右してきます。
 
そのために、“朝一番の珈琲時間”は、これまで私にとって、豊かな考え方を得るための大きな役割を果たしてくれる方法、習慣となってきました。“らしく生きる知恵”という産物を与えてくれる良いきっかけになってきたのです。
 
安定して豊かになる珈琲時間の愉しみ方といえば、“クラシック音楽を聴きながら、珈琲を淹れ、飲んで…あれこれ考えを思い巡らせること。

音楽のメロディーという抑揚、リズム、テンポを、自身の感性をたのしみながら聴いていると、日々のあらゆる懸念を受け入れ、知っていく……そんな考えが、しきりに浮かんでくるのです。
 
個人的におすすめな作曲家は、バッハ。
心地よく軽やかな音楽が多いのか、聴いていると、心地よくも時々、哀愁漂うような奥深いメロディーを感じられる気がします。
 
クラシック音楽を聴きながら、珈琲を飲むという同時作業の融合は、心地良さから癒し、余裕をもたらしてくれる効果は、絶大です。心地よい時間から感じられる、紛れもない自分視点の考えを、改めて自分目線から再認識し、大切に扱う考え方を再確認したり、発見できたり…。
 
このように、すんなりと吸収できる考えが過ぎる時間からは、良い影響を受けることができ、なんとも言えぬ充実感を運んでくれます。そして、吸収したいものから残る不快感は、手放すこと。その都度、いいモノは更新する……というように、アウトプットする繰り返しの循環をもたらしてくれる脳を働きやすくしてくれる作用があります。
 
自身の至福の時間から、“自分目線で幸せをさがし、考えて見つめていく機会作りを”日々着実と地道に、積み重ねていくことは、自分の人生のなかで、重要視していきたい部分を知る、望んでいることがわかる、一番の近道になってくれている気がするのです。珈琲とともに、クラシックの旋律を聴きながら、暮らしの大切な真ん中の旋律も感じていけるようになる…そんな、気がしています。
 
 
やはり、なにかの作業をしながら考えるときは、あれこれ浮かんできやすい。そして、どちらかと言うと、心地よく感じる作業の最中に、吸収するといいことが豊富に散りばめられています。不快感を見つけることよりも、“心地良さを探していく”ことのほうが、はるかに気づきが得やすい
 
なぜかというと、すべては、余裕が生まれやすい時間かどうかだと思います。ギューッと考えが縮こまってしまうと、自身にとってよいアイデアが、思いつきにくくなる状態を作ることになります。
 
たとえば、なにかに集中しているとき、途中でまったく違う話題を話しかけられたり、違う雑音があれこれ耳に入ってくる環境にいると、考えたいことを考えられなくなる…そんな状況みたいなとき、です。
 
 
私の場合でいうと、今みたいに文章を書いて自己整理をしているとき、書いては消し…の作業が長引く…そんなとき。“生きているなかの躊躇いが現れている最中なのだなあ”と思い、考え方を改める必要があると感じます。
 
逆に、ハッと気づいて、ひらめく感覚になるときには、脳の神経から感覚を伝い、するすると手が動くのです。整理しやすいことは、わかりやすいサイン。なので、雑念が多いと、整理整頓しにくくなるということ。
余裕を持つことが、考えの余白をもたらしてくれきっかけになるのだと改めて気付かされる、瞬間なのです。
 
クラシック音楽と珈琲の過去記事
 
“心地よい時間を取り入れることで整ってきたこと”
・朝の目覚めの気分が良くなった
・肌の調子が良くなった
・心身の不調、不快感に気づきやすい
・“こう思ったんだ”と気持ちの再確認で整理整頓と心の余裕が生まれる
 
心身ともにヘルシーになるとゆとり、そして、優しさが生まれる

たまにパンを食べたくなる理由は、あの口当たりのいいふんわりとした食感。食べるだけで心地よくなるし、癒されるからではないかと。それでも、体にはあまり受け付けなくなったのも、実は、身体のなかが、あまり喜んでいないということを感じてきたから。
 
なので、最近パンを食べる時も素材のまま頂くことがほぼ定番になりつつある。そして、朝ごはんもだいぶ軽めに食べ、シンプルになってきました。余計なものを加えず、素材の味わいを噛めば噛むほど、喜びと幸せが込み上げてくる…食を通して味わうことも、なんだか生の幸せを味わうことになっているように、心も身体も優しくなってく気がするのです。
 
たんぱく質と糖質を取り入れた朝食メニューの心がけ」