とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

とある本屋での気づき。“ささやかな幸せへ微調整する”大切さのあれこれ

 

こんにちは。

暮らしと珈琲を愉しむ です。

このブログは、主に好きな珈琲、本をメインに、そのほか暮らしのちょっとした大切な気づきとそのエピソードを綴っていきます。

 

たまたま訪れてくだった方、いつも訪れてくださる読者のみなさま、誠にありがとうございます。

 

では、今回は、「備忘録」として綴っていこうかなと思います。

 

ほったらかすと、のびのび過ごせなくなる

 

この前、買いたかった本を買うため、このごろ街にできた、夫婦で切り盛りしている小さな書店を訪れました。店主のセレクト本のみを取り扱っている、こだわりのあるお店らしく、どうも訪れてみたくなったのです。

 

まず、店頭に入ると、奥さんが。在庫を尋ねてみたところ、在庫は無いとのこと。すぐに旦那さんの方も、店頭に出てきた。買いたかった本に対して、もう少し話が広げられたら良かったのになあ……”と、残念に思ったのだけれど、話にそれ以上話に入り込む気もなさそうで、ちょっとした挨拶程度に交わしただけ、のような印象がしたので、わたしのなかでの、それ以上会話をしたくなる気持ちはそこまでだったのでした。

 

その後もしばらく、他の本も探って居座ってみたけれど、やっぱり「ほったらかされる」感じと、心地のよくない場の雰囲気は、終始続いていたような気がしていました……

 

「どうぞ、お好きに読んで帰っていってくださいね」という気楽にを、もてなす感じもしつつ、それ以上に、同じ部屋の空間にいるのに、まるで、店主と私との間に壁があるような静寂が漂っているようで……好きな本が同じという共通点があるはずなのに、まるで、関わりがないような空間と時間が流れているような気がしていました。これも、あくまでも個人的な感想にはなるのだけれど……

少なからず、お店でもあったし、狭い店内での客が私ひとりで、密度が高かったせいか、余計にそう感じたのかもしれません。

 

けれども、やはり何処でも、温かみを感じられることに越したことはないのだから。お互いに、歩む幅を合わせてみようという努力”が向き合わされば、十分に気持ちよい会話は、なんとなく成立するように感じられるのです。たとえ、たった一回、数秒、数分、数時間……の時間だとしても、接する以上は、心通わせられるような気がしたのなら、そのあとも、自分の暮らしをこの調子で満喫させて過ごそう”と、作業に心置きなく取り掛かることができるのです。後味という余韻が違ってきます。

 

やはり、日々のさり気ない幸せが訪れる積み重ねが、日常のなかでのモチベーション維持に繋がっていくようです。心地よいと思えるモノと出会えるときみたいに……

子育てでも、あらゆる場面での人間関係の構築でも、そうです。「関心を持たない」ようにすることは、自分にとっても、相手にとっても、お得感はないはずだと。

いつも近しい関係ほどに、程よい距離感を保つ大切さと、その塩梅は崩れやすいときもあるけれど……ほったらかしすぎず、違和感を感じたことは、意思疎通をしてみる」だけで、心は十分にほぐされるようです。いつも心地よい距離感は、安心感から生まれるその関係を努力しようとできたら、互いの距離感は、いつもうまく掴めてくるようになると思うのです。

 

だからこそ、よく思えなかった出来事も、こう思えば、悪くないねと考えられる、別視点の捉え方をできるようになることが、まさに必要みたいです。考え方も、いつもそのままに放ったらかしにして置き去りにしてしまわぬようにしたいと、改めて思える瞬間になりました。

 

 

あと、この頃ほかに、生活のモチベーション維持をできてるんじゃないかと妙に思えた過ごし方の場面がありました。では、その3つをご紹介して、締めくくりにしたいと思います。

 

 

音楽も自由

わたしのなかで、リズムに乗せてあれこれ考えたくなるのが音楽の醍醐味かもしれない。最近は曲調、リズム、テンポ……などのリズムが気に入れば、自分のなかで好き勝手にあれこれ思い浮かんだ言葉に乗せて聴くほうが、はるかに広い視点で考えてみることもできるし、心地よく感じるのです。だから、どうやらここ最近、歌詞は、あまり気にしないで聴いている気がします。洋楽や母国語以外の歌を聴くと、その瞬間を、より一層感じられやすいのです。

 

 

まるで、誰かと話したように癒される日

やっぱり文章を読んでいると、読みたくならなければ、読めない。とくに、堅苦しい文章、断定のある言葉は読みづらくなってしまう……どこか日常と重ねる馴染みのあるような、暮らしのなかから垣間見えてくる心に躊躇なく入ってくるエピソードは、わかりやすいのに、感慨深くもなるし、心も晴れる、という読み応えた感がある。そして、間違いなく何度も読みたくなる、心にやさしく残る文章にもなる。

 

 

可能性に向けて

可もなく不可もなくなら、なるべく、しないことにしています。別にしなくても困らないことが多いのです。それでも、ここで要注意したいのは、実はしてみたかったこともあるのだということ。望んでいる生き方を気のせいにしてしまい、見過ごすように過ごして失うことは、結局取り戻そうと思えるか、思えないかで、大きく心境も変わってくるようです。いつもこの2つの違いは、理解しにくくいことが多くても、すでに承知していることのような気もします。

 

だからこそ、意欲が湧くことには、「可」があるはずだから、目的があるはずだから、訪れてみる、試してみようと思います。できる範囲内のことからできなさそうと感じることには、望むハードルが高すぎることにあるようです。気になったものを手に取るようになるまでの過程に、心が踊る心理状態があれば始めてみよう。「可」に向かっていける気がすることは、そして、「可になる」こともあるのです。

 

大事なのは、望むことを望んでいけるようにする努力と、努力を続けてみることで、得られたことの幸せではないかと思うのです。

 

 

今日は、幸せを感じるようになれるには?を考えさせられた、あんなこと、こんなこと、を話してみました。最後まで、聞いてくださりありがとうございました。

 

 

 

みなさま、今日も、残りわずかな素敵な一日をお過ごしください。