とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

はてなブログで文章を書いてきて約2年。かなり自身の変化に驚いてます。

 

 

今年もいよいよ、大詰め。

最近書くたびに決まりゼリフのようについつい言ってしまいます。ほんとにそう感じられ、どうしても言ってしまいますね。

 

振り返ると、「はてなブログ」を始めて2年が経過しました。今まで180記事を書いてきたようです。

 

 

 

最近、人との関わり方、あらゆる心境の変化があった気がしています。なぜかと言うのも、文章で書き記してきたことの影響が間違いなく自分の変化に大きく役立ってきたのだと思っています。

 

そんなわけを今日は今週のお題ビフォーアフター」として振り返ってお話させていただきたいなと少し書いてみようかと思います。

 

 

以前の私は今に比べて非常に繊細な心の持ち主でした。

 

今も根本的なところはもちろん性格もあるので変わりはないですが、それでも少しずつ自分と向き合ってこれたおかげだろうと思ってますが、自分の苦手部分に対して気にならなくなってきました。自分とうまく付き合っていけるようになってきたのだと思います。

 

それでも、今でも少し自分繊細さが目立つように気になってしまう場合というと、昔の頃の私をよく知っている人と会うときです。

 

向こうからすると対して私の事なんて気になっていることはないと思いますが、それでも何かの機会で会うことがある度に、あまり気楽には付き合えません。

 

伝えたい事も素直に伝わるように接してしまう事も後々気まずいんじゃないか?という気にもなり、今でも無理に積極的に話そうとも自分を取り繕おうともしていないような、何ともなあなあな状態でいます。まあそれでも滅多に会う人では無いし、程々に付き合って行く程度がそれもそれで良いスタンスなんじゃないかとも思ってもいます。

 

ある程度の境界線は引いておいて、程よく付き合うことも場合によっては必要なんじゃないかと。

 

逆に大きく変わってきたなあと思える場面と言えば、「初対面の人」「たまたまその場だけで遭遇して偶然話す事になった人」「家族の関係で環境上接することが多い人」などはここ数年間で随分と気楽に関わることができるようになってきたという事は身に染みて感じられるようになりました。

 

むしろ初対面の人にもオープンに自分の話もしますし、気になった事は純粋に聞いてみたり快く相づちも打てるようにもなってきました。

 

なんというか、そんな期待もせず、嫌われたらどうしようとかも考えず、ただ純粋に話したいことを話してみたい。

自分らしく、自分なりに人と関わってみたい。

 

そんなふうに思えるようになりました。

 

話すことが楽しくなりました。これは、昔の自分が聞いていたら「あなた、ホントにすごいよね」と驚き、喜んでもいます。ちょっと他人事みたいに言ってしまいましたが、そのくらい自分でも不思議なくらいに人と話している自分をさほど痛ましく思えない、まあこんな事もあるよねと受け入れることができるまでに成長できたということなんじゃないかとも思っている次第です。

 

人も人なりの考えがあるわけで、互いの伝え方で誤解も受ける場合もあるかもしれない。

 

それでどう会話していくとより楽しく話せるだろうか?と工夫できる機会にもなりますし、別にさほど無理してまで話すということもしないでもいる姿勢でいます。

 

相手に少し歩幅を合わせる会話を心がけたり心地よい会話ができたらいいなあという思いはいつも忘れずに。

 

特にあれ聞こう話そうとかこだわらず会話の流れに沿って気になったことは聞いてみる、話してみるようにしていると、人とのコミニュケーションが随分と面白くスムーズに感じられるようになってきました。

 

有難いことに、相手側からも「初対面なのに何でも話しやすい」「構えずありのまま話せて楽しい」などと、よく言ってもらえるように機会も増えるようになりました。

 

「話し方の大切さ」は、一時期していたカウンセリングのお仕事の時にも大いに考えさせられた事でした。あの時の経験を踏んでいた以上に今がもっと気楽に話せるようになったんじゃないかと思えることに、少し惜しく感じられたりもします。

 

もし良かったらここでもご質問、ご相談などあればお答えできますので、ぜひ気軽に私に話しかけてみてくだされば嬉しいです。

 

 

以上、「根本的な性格は変わる事はないにしても書いて意識して生き方が変わることもある」という実体験をお話させていただきました。