暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

【備忘録】心地よく生きてくために“気の持ち方”を大切に

こんにちは。マコです。

いつも訪れてくださる方、読者の皆様、ありがとうございます。

 

ちょっとここらで、また備忘録を。

思い出したくない過去の記憶はなるべく掘り起さないようになりました。振り返っても過去は過去の自分。人目を気にして、私がおかしいんだろうか、とか、世の中と足並みが揃わないんだろうかという漠然とした不安も押し寄せて来る時があります。それでも、在りたい自分の姿で、自分の意識に合わせて生きてみよう。積極的に向き合いたい事に意識を注いで向き合うと、何だか心も新鮮でわくわくしてきて、更に日々生きる力が湧いてくる感じがしますから。

相手が伴うことはどうしても複雑に慎重になりやすいけれど、納得いくまで向き合って、後は時の流れに身を任せるしかないって思うようにしています。いつも自分自身がどう向き合うかが重要であって、判断という選択はいつもついてきます。ただ、なるべく心地よく生きていける為に選択しなければならない事もあります。いつも上手くいかない事が多いもんだから、なるべく後悔無いように過ごせていけたらいいな、と思いながら。


最近強く感じるようになったのは、過去でも現在だとしても、何事も決めつけてしまうと心苦しくなってしまうという事です。

例えば、ちょっとした事なんです。洋服を選ぶ時に「着たくても何だか自分には似合わない気がする」とか。きっとあの人はこう思ってるんだろうなあ、とか、あの人はこういう考えなんだろうなあ、とかで、一見理解しずらいことも相手の立場を一方的に決めつけないように考えてみるようにもなりました。

よく考えてみたら、日々生きてる中で自分の視点での思い込みフィルターが常にこぼれ落ちていて、気づかされる事があるからです。

一旦丸く収まるところに整理して収めて「〜かもしれないな」ぐらいに考えておいて。思い直す余白を作っておくと、「もしかしたらこうかもしれない」と、柔軟な心の切り替えがしやすくなってる気がしています。思い直すことって大事だなあと。


自分の気の持ち方しだいで⑵

私の中で、いつもついついチェックしちゃうな~と言う物といえば、ティーカップ、お皿とかの陶器類、お洋服とかです。いつもSNSで偶然好みのデザインを見つけては、眺めてうっとりしているのがお馴染みの習慣とも言えます。

……ですが、現状としては、子供たちがまだ小さくて危機管理能力を高めてる真っ最中です。いくら欲しくても壊れてショックな物や手間がかかるとか、神経を尖らせてしまう物は買わないようにしています。

いつか、子供たちもある程度成長して落ち着いた生活が送れる時が来たら、自分にとって胸ときめく物たちに囲まれて過ごせる日が来ますように。

今はそんな日が来るまでの準備期間として、徐々に使い終えた物と新しく加入する物とバトンタッチしながら、理想的な暮らしと物をあれこれ想像して。今は自分に合ったほしい物リストをじっくり考慮しつつ、理想的な暮らしをあたためてるようなわくわくする時間です。そんな風に考えてみると、何だか妙に楽しい思い出になりそうな気がしてきます。


自分の生活の中で使いやすくなかったり、不便さを感じる物は大抵使う機会があまり登場しません。最後まで使い果たすのに苦労することさえあります。ストックが切れても他に代用品がある物は、もっと暮らしやすい代用品が見つかることが多いんです。

今のところ買い物で重要視してる部分としては、今にある暮らしがより心地よく穏やかに過ごせそうだと思った物を決めて選ぶようにしています。願望としては欲しい物が、今の自分の生活環境に適応しそうか、という具合を考慮した上で。

あ、でも今しか買えなさそう、とか、貴重だったり目新しさや心輝く物は試してみるようにしています。びびっと直感が作動したように迷わず買ってみたくなる物は、自分の生活の中でしっくりくることも多いです。気に入った物は、飽きずに使い古すまで長く愛用するようにもなりました。理由は、使い心地が良いからでしょう。

気の持ち方しだいで ⑶

毎日のように子供たちが見事に毎日お部屋を汚してくれます。これほど出るか、というくらいのゴミが発生します。元気な証拠です。

一日にこまめに掃除してたり、気をとがめたりしてたらあっという間に神経がすり減りそうになってしまいます。子育てという、とめどなく巻き起こってくる作業を懸命にこなす為に、気を落ち着かせる瞬間は終始ほぼありません。時には呼吸でさえも落ち着いて出来なくなるような怒涛の忙しなさが押し寄せます。数分で終わってしまうような家事でさえも何倍速で終わらせてしまいたい、しっかり体と精神を充電する為に寝る時間が 24時間あればいいのに、という気にもなります。子供達と接するためには、余裕をなるべく持たせることを優先的に考える。そんな心持ちで過ごしていかなければなりません。

ワンオペ育児となると、その気持ちが余計に大切になってきました。まとめて掃除してたらいいや。親子でも嫌なことは伝えて理解し合えたらいい。そんな風に一つ一つの事を切り替えて丸く収めていかなければ、いちいち気にしてたら気が持ちません。

余裕がない時ほど、「あ、危うく自分の機嫌を誰かに良くしてもらいそうになってた。自分で自分のご機嫌とってなかったなあ。」なんて、自分自身へのダメダメ攻撃が強くなっていると思い直す時もあります。

できないことを責めてもしょうがないし、どうせ悩んでも自分で上機嫌にならなきゃどうにもしょうがないことだらけです。生きてくって本当に大変だし、生きてるだけでも十分凄いことじゃないかとも思える時さえあります。

とにかく、心穏やかにやるべき事をこなせる分だけ出来たらいいや。そう思ってると、心にくっ付いていた変なプレッシャーみたいなものが少しずつ剥がれてくように、気持ちが軽やかに、また乗り越えて生きてけるような気がしてきますから。