とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

思い込みすぎずに生きることの大切さ

最近思うのが、結局のところ、「誰かの考えはこうであって、私はこう思ってる。ただ、それだけのことなんだよなあ」そう考えるだけで、気持ちをラクに保って過ごすことができるんだよなあ、と思います。


自分にとってフツーだとしても、人によってはフツーじゃなかったり。はたまた、これが自分にとってフツーじゃないと思っていたことも、「あ、わたしだけじゃなかったんだ」と、誰かとカチッと意気投合するような感覚になったりして、安心したり嬉しくなったりして感極まったりもしてしまいます。



「フツーならこう考えるだろう」とか、俗に言う、一般論とか知識という型に、考えを無理矢理当てはめない方が生きやすいと思うんです。ああだ、こうだ、と決めつけて想定すると、けっこう苦しくなってしまうんです。基本的な心理や思考は、だいたい同じであっても、人によって嬉しい、楽しい、悲しい、イヤだ、と感じる、色んな意味での譲れない部分という思考は、ピンポイントで違うものだと思うから。


会話の上でも、「打ち明けたいことを自分の言葉で伝えてみる」ことって、かなり大事だなあと思ってきました。こういう風に言ってみるのがいいんじゃないか、と策略的になってしまうと、「あれ?なんかうまく伝えられなかったな〜」とか、どうしても心がモヤモヤしてしまうんです。例えば、良い人に思われたいとか、こんなこと言って大丈夫だろうか、とか。そんなことを気にした考えを優先してしまうと、なんだか変に変にごちゃごちゃした遠回しな発言になっちゃうこともあります。


ここで最近改めて大事だと思うのは、「自分が感じたままを言葉にして素直に伝えてみる」ことです。自分が感じたように思うままに言葉にしてみると、意外とすっきり完結に伝えられたな〜と思えて、「伝えられた感」に満たされるんです。


もちろん、自分なりによく考えて伝えたこと、打ち明けてみたこと自体にすごく意味はあるのですが、なんだか最近、素直に伝えられなかったことって、心に後悔として残ってしまいやすいなあ、とつくづく思うんです。


自分の気持ちをなるべく素直にありのまま話してみたことで、気持ちって満たされていくものだなあと。ありのまま話していくことで変化していくこともあります。


自分はこんな考えだけど、相手は違うかもしれない。


人間関係ってそんなふうに、その部分を話し合ったり、伝え合ったりして深めていくから、当然ながら会話もできて、楽しくなったり、新しい気づきも得ることができると思うんです。



もちろん、受け取る側も伝える側も自由であるし、自分の気持ちの受け取り方次第と言ってしまえば、それで終わりになってしまうのですが...。伝える側もどんな意味でも真心がこもっていれば、言葉って、ある程度よく伝わると思うんです。文章でも、会話でも、心通ずるときって、やはり心が充実しているんです。それが、文章だと特にはっきり感じられるような気がします。


なるべく、自分が語りたいように話しかけてみよう。それを、わたし自身、いま気にかけて、会話を楽しんでみている最中です。ここで、文章を書く際にも、改めて心がけたいな〜、と思うこの頃です。