コーヒーと暮らしを愉しむ

コーヒーのある暮らし。コーヒー器具、コーヒー豆、ドリップ、コーヒーアレンジレシピなど。増えてく暮らしを愉しむモノ、瞬間の物語。

“今日を生きるためにこなした”と振り返るだけでいい

さて、ここらへんで最近の備忘録を書いておこうと思います。

一年前くらいから、ちょこちょこnoteでも書いております。有難いことに、たまに文章に対して反応を下さる方もいらっしゃって。非常に楽しく書いております。

note.com

 

忙しく1日の予定を詰めると、心も忙しなくなります。忙しさに追われてる気持ちになるよりも、ひとつずつこなすごとに○をつけていくようにすると、いつも気持ちが緩みを保ちつつ、過ごすことができます。悩むことって、本当に自由だと思います。

 

悩むということは、いろんな考えがよぎる訳です。考えたことも、考えたいことに考えを膨らませていく。この先のぼやけた進路方向も、行く手が決まれば、予定も立てやすくなるように、自然と前向きの方向に考えが進んでいきます。もちろん、予定変更も可能です。自分の考え方次第で、「自分の生き方計画表」を作っていきます。喜怒哀楽も、自分が作っています。恥ずかしいと思うことも、別に恥ずかしいことではないよな、と思うと楽になります。これでいいのか?と躊躇してたことも、思いたいように思うと、別にそんなことまで考えなくてもいっか!と、なんてことない気持ちになります。

 

自然にこなせることって、自然に嬉しいこと発見できます。無理してこなしてることって、大抵のことは上手くいかないし、どんよりした気持ちのままでいることになります。これでいいのか?と頭に過ったことは、気持ちの改善が必要です。時には、悩みまくります。悩んで悩んで、追い込むモードに突入していくと、どんどん余裕がなくなり、考えもまとまらない、全ての考えが負のループに回りやすくなってきます。悩み抜いたあとって、頭から湯気がでるように、我慢の限界ギリギリまでに差し掛かると、「あ〜いい加減この状態から楽になりたい」という願望が出てきます。「あ、モヤモヤの原因ってコレだったんだよなあ」と、心底気付かされることもあります。認めたくなかったことを認める瞬間でもあったりします。時には、迷う時は、迷い迷った挙句の果てまで悩み抜くことも必要なときもあります。納得いくまで試してみることも、自分なりの悩みが晴れる解釈に繋がりやすい時もあります。いずれにせよ、「結局、それでいいや。そういう事にしたかったんだな」に、心収まる時がやってくるものです。

 

まず、最近は、何をしても、しなくても、「今日を生きるためにこなした」ってこと自体に「まず、よし」と思えるようになりました。幸せだと思える瞬間が増えることって、「小さな事によし」が、言える瞬間を見つけられたかどうかだと思います。

 

何もこだわりを決めつけず、何でもありだと思うようになったことで軽やかに生きられる。ただそう感じたんだ、ってことにして。認めていけたら、心構えも起きる事に対して対処できやすくなってきました。軽やかに生きることって、こういうことなんだろうなあ〜なんて、思いながら。