暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

自分の感覚に正直に生きるために大切にしたい備忘録

 

今日ふと、強く感じた事なのですが、目につくということは、「自然に惹き付けられる」か、または、「妙に気分が悪い」かの2択かもしれない、と思いました。

 

 

美しいと感覚的に心が躍るようなこともあれば、ヘンに気にかかってしまう出来事、イヤだと感じる場面もあったりします。

 

もちろん、心がざわつく、「目につく」という時は、なんだか気分が下がってしまうのがわかりやすい特徴。そんなときに、よく考えてみます。「なんで、そのことが不快だったのか?」と。それは、無意識に人と自分を比べてしまうことにあるとやっぱり気づくのです。

 

「あの人はこういうことをしても平気なんだ」とか、「自分がなんだか悪いように感じる」とか、優劣をつけがちだったり。「どちらがいい、悪いとかではなく、自分だったらどう過ごしたら気持ちがいいのか?だな」って思ったんです。

 

自分なりによく過ごしてるはずなのに、ヘンに周りを気にしてしまって、罪悪感を抱きやすいこともあったりします。そんなときにも、もう一度自分自身に問うようにしています。「え?なにが良くなかった?自分はそう考えて気持ちがラクなの?」と。たいていは、「NO」です。

 

自分で心の不安を解消できる答え考えること。気持ちが悪かったのは、自分自身と人を無意識に比べてしまっていたことでした。「まだまだ毒抜きはたくさんあるなぁ」としみじみ感じた瞬間でした。生き方が違うから、違う部分が見えちゃうもの。「違う部分を通して、自分から見た視点からは、その瞬間は、光るのか?曇るのか?なら、自分ならどうする?」を問いながら、いつも心に留めて過ごしていきたいな、と改めて思ったのです。

 

あくまでも、自分の心の真ん中にいるべきなのは、自分なのだから。自分が居なきゃ、自分らしく生きていけるわけがないのだから。もう一度、再確認させられているこの頃です。

 

この記録も、例え同じような事を書いている人が居たとしても、自分だからこそ響いている備忘録として書くことは、なんだかとても感慨深いのです。それを記録したまに読み返して振り返ることは、スーッと心に染みて元気になれる、治療法にもなってくれます。たとえ似ていたとしても、十人十色のように、自分の心に響いている感覚、感情は人と全く同じではなく、ビミョーにでも違うものです。だから、ズレや違和感も生じてくれる。

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コーヒーを豆から挽いて、ドリップして飲んだひとつの過程のように 、自分だからこそ感じる、愉しむ感覚を自分に染み込ませて、インプットさせていく良い機会になるのです。誰でもない、自分の感覚を落し入れるかのように記録していくことは、色々な発見与えてくれます。

 

昨日、偶然にも出会った「レイチェル・カーソン」のこんな言葉がありました。

 

 

美しいものを美しいと感じる感覚、 
新しいものや未知なものに

ふれたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの

さまざまな形の感情が

ひとたびよびさまされると、 
次はその対象となるものについて

もっとよく知りたいと思うようになります。 


そのようにして見つけだした知識は、

しっかり身につきます」

 

「知ること」は、「感じる」ことの半分も重要ではない。

 

自分の感覚を研ぎ澄ます大切さをハッと我に返り、思い出させてくれたような気がしました。

 

 

自分だからやりたいこと、できることに心を留めて、やってみる。好奇心、感覚をもって。外側から見えるものだけでなく、内側からにじみ出るものがあるから。自分のオーラは自分で作るように、生かさないと出てこないんだよなぁ、なんて思うこの頃です。