とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

今年もあと少し。振り返ってみる一年と暮らしの変化

自分の生き方のペース=働き方のペース =自分のベース?

 

今年は、働き方も大きく変化した1年でした。

 

今までしていたエステの仕事、カウンセリングの仕事に、違和感が芽生えてきた。私の頂きたい仕事で感じたい、「充実感バンク」には、あまり入らない仕事内容だというのが正直な理由でした。

実際のところ、自分が心の底から満足して商売してない感じが息苦しくなって楽しさが見いだせなくなってました。最近は、自分のホンネに気づかないフリをしているわけにもいかない性格が、より増し増しになってきてまして……。

文章を書くことは、こうした無理やりギュウギュウに気持ちを押し込めている、誰にも吐けない本音を言えているような気がして、すごく満足感があると同時に、ほんのり漂ってくる、自分の今のホンネと望みも、ダダ漏れてくるのです。
……もうホンネには逆らえない部分って、自分でも薄々気づいてることって多いですよね。「あぁ、でも分かってるよ」ってくらいに。

 

もちろん、生きてくためには必要な事。やりたくない、納得のいかない仕事を続けて、満足度は正直得難しいところもある……。けれど、気の持ちようだ、と片付けてしまったのなら、それでおしまいになっちゃう。
 

いまをじっくり見つめて、一生懸命取り組みたいことへ楽しい苦労をしながら、いつか私も個人の収入である程度の生計が安定して立てられるようになりたい。そんなちょっとした、今にとってはビッグな、挑戦心を秘めていたりします。

 

上手くいかない」を、ちゃんと考え抜いた時期が多かったように思います。自分にしか出来ないものを作りたい。

 

純粋に「あ……いま、いいな」って、改めて感じてるんです。……それと同時に、「理想型」への壁にぶち当たっている真っ最中でもあるけれど。

適度に難を乗り越えていける「柔軟な対応力」、余裕をあえて自分に持たせて力を入れ直す、財布の紐を締める「精神力」どれだけ大変な状況になっても、気丈に持ちこたえる「意志力」。「一日3食分」よりも必要なエナジー、そんな気持ちを持っていくようにしなければならないなぁ、なんて。「いま、すごく自分らしさを鍛えてるな〜」と思っているところです。

 

フリーランスといえば、「カフェでパソコンを広げ仕事している」とか、「働く時間も自由!」というイメージかもしれないが、実際、わたしはそんなことはしたことはあまりないのです。


ファッションがいつもラフ。毎日メイクは、ファンデーション、アイブロウという基本ベースのみ。出勤しなくてもいい、昼のメニューを自分で決められる、家で引きこもれる、……など、融通が効くことももちろんあります。こんな、贅沢していいんだろうか?と思ってしまうときもある。

そして、その自由さとの戦いを絶賛繰り広げている。自分に合った仕事、環境を整えつつ、安定した生活を送りたい。ちょっと贅沢に感じられるかもしれないが、きっとそう望む「働き方」、理想型を抱いている人は、沢山いるんじゃないか?と思っています。

そんなちょっとした至福の時間は持ちつつ、仕事はしっかりしていきたい。自分の中に燃える「野望」はかき消さないように。一歩一歩前進できるように、噛み締め、自分らしい方向へコツコツ向かって行けるようにだけは願って。


今も、Webで仕事をするように移行中です。
ちょっとずつ動き始めている最中。

さて、どんな未来になるのかな?あくまでも、「してみたいこと」「興味を持ち続けられて、追求できること」をベースにしていくと、「自分の生き方」のベースにもなると思うのです。

 「物」から学ぶ、日々を丁寧に、愛す気持ち

 

 

最近、ミニマムライフ志向になってきたのを感じています。
考える負担を減らし、心地よく過ごすための環境の整理をしているように感じるのです。物を持つことは、選択が迫られるときが自ずとやってくる。

使い古した物の変えどき。または、使っているけれど、新調したくなるものかで、そのまま取っておくか、断捨離するかで迷ったりする。あるいは、全く別のものが欲しい時。物が増えることを想定して買わないといけない時もある。その悩む時間が大きいほど、負担を感じる時もある。

物って、いま現在の自分の人生ストーリーを映し出してくれたりする。暮らしぶり、夢中なこと、日々で欠かせないものーー。それは、永遠に必要なものではなかったりするものも潜んでいる。

それが時の流れように、ごく自然に移り変わる『心境の変化』だったりする。あらがわなくても、そのままの自分を受け入れるように、以前愛用していたものという「過去」と、清くお別れできたりするようになってきた。それが『思い出』という『経験』と重ねているんじゃないかと。

『物』も、その時その時の『旬』があったりする。それは、その時に必要だったもので、今も必要だとは限らない。だから、置き去りにされたままで残っていたりもする。そんなときは、日々の中で最近活躍しなくなったものは捨てた方がいいことがハッキリ分かってきました。心の断捨離にもなります。

よく考えたら、『その時その時に必要な、生きる力、支えになってくれる物』に、いつも助けてもらっている。物に、自分のストーリーを収めたりして。


そんなふうに日々の過程を、物を通して眺めているかのようだなぁ。だからこそ、いま力になってくれる『物』は、よくよく深く考えてみる必要がある。「必要なもの」を判別をしながら、心も整えていくように……。

 

掃除も苦手だから、できればその負担を減らしたいと常に思っていたときに思ったことで、最近ようやくわかってきたことがあります。

 

 

『心の断捨離』が出来たら、ある程度、最低限の片付けはできるようになること。整理できるようになるには、まず、自分のできる範囲内という基準に留めておく必要もあるということ。

 

物が多くあると、片付けの負担になったり、迷いが生じやすい。そのために、物はあらかじめ増えないようにすることが1番だと分かってきました。

 

 

だいすきな洋服も、普段よく着る服なんて、実際は限られていたりする。欲しくても、その時の環境によって着られない領域になるのなら、あえて持たずに、着られる物を持っていた方が良かったり。

特に、子育て真っ盛りの今はそうです。オシャレするのも、子供と動きやすい服が最優先。子供と過ごしながらも、満足して着られるお気に入りの服にすると、気分も良くなる。

だから、よく活用する洋服のメンバーなんて、ワンシーズンに上下3着くらいあれば、立派なんじゃないかと思ってきた。この前断捨離した時に、随分服を減らしたけれど、確かそれくらいの数になってたかも。
 

物を持たないようにしたくなるシンプルな暮らしということは、『いまホントに必要な物』を見極めて、大切に。丁寧に。懸命に愛したくなるものを持ちたくなることかもしれない。そして、その『循環』をし続けていくことなのかもしれないなぁ、って。

人生でホントに欠かせないものって、「自分の目の届く範囲内に置いておきたくなる」ものだから。

 

 

その都度移り変わってゆく心の成長と共に、『必要なこと』も新調して、切り替えていくことが必要だったりする。人生って、その『循環』をし続けることなのかもしれないな、なんて思ったり。それによって、日々の充実さが増し、「満たされる幸福度」が潤ってきたように感じています。

 

 

 自分だけの好きを磨いていきたい

 

 

これは、最近より自分の「すき、キライ」の輪郭がハッキリしてきたなぁって思っていることです。「自分の快適な暮らし方はこれだな」という特徴、性質がわかってきたからでは無いかと思っています。

 

今年に入ってから、ホントに好きな物をいくつか身の回りに置くこと。常に気を配ること。それを続けきて、人生に「楽しむ」という意味を持たせられるようになったんだなぁ、と感じられています。

とくに下半期に入った頃から、「自分だけの好きなもの、時間をとことん楽しもう」という思いが、さらに湧いてきました。
 今この時期に考えてるのは、「自分にとっての幸せ」「自分だから好きなこと」「自分だからこだわりたいところ」は、譲っちゃいけないな〜なんて思ったりしてます。


「自分だからこそ湧いてきた楽しさ、幸せ、をしっかり心に焼き付けて、生活の軸を忘れずに、暮らしに染みつかせていきたいなぁ」なんて思っているところです。

暮らしも、衣・食・住と触れ合うなかで、その時その時で自分に「フィットする」ものを、選んで、判断していくこと。

 暮らしのなかで「食」は大きい

やはり、自分のなかで食ってかなり幸福感を占めてるなぁ、と思うのです。「あ〜だから、ブログを始めたんだよなぁ 」と、なんとなく始めたものの、ようやく自分のなかで腑に落ちて納得したり(笑)

その中でも「コーヒー」が主を占める、「ティータイムの時間」はホントに癒しの時間です。なにかここを突き詰めると自分の中で大切にしたいことが見えてくるのでは?なんて思っているんですよね。

ということで、

来年も、「1度きりの人生、イヤなことも、試したかったことも軌道修正していこう……!!」と思っているところです。