暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

考え方次第で、集中できる時間を大切に。

特別お題「わたしがブログを書く理由」に合うような気がして?ついでに……。

 

 

もうすぐ韓国旅行。これを機に、糖質オフ生活を心がけて痩せていこうかなと奮闘中。甘いものも食べた時の美味しさも感じられず、必要性も頻繁に感じにくくなってきたので、健康的にも良さそう。

 

頻繁に食べなくなってからのこと、なんであんなに甘いものや小麦類を美味しく感じていたのか?体質が変わったのか?そこまでのカロリーを欲しなくなったのか?と、不思議に感じるほど。実際そのおかげか、お腹がすぐに空くのだ。そして、ご飯のおいしさが身に染みてわかる。

最近は、野菜、フルーツ、シンプルな味付けが、ふだんはまことに美味しいということ。

 

先日、「脳は刺激を受ける生活をしている人ほど年をとっても読解力が向上する、判断しやすくなる」という話を聞いた。

たしかに、些細な意識から見直してみれば、それが、自分にとって刺激になり、よい発見に繋がることがある。
日常の習慣も変えて継続してみれば、その環境に適応していくこともありうるということは、いままでも年々強く感じてきているところだ。

 

 


ときに、思いもよらない記事が多く読まれたりする。そんなとき、たいていのことは予想通りにはいかないものだったりすることを実感する。自分自身が重要視していることと、自分以外の人が注目する視点は違ったりする。

 

そういうふうに、物事は自分の中でうまくいっても、大切なことだと思っても、結果が予想と違うということはよくある。
予想というのは、自分の知識の範囲内に留まってしまうことが常々多かったりするけれど、それでもその時々で疑問を考え、新しく興味をもってみる機会をつくれば、また新しい捉え方にもなっていく。

 

それでも、世の中の反応と個人のあり方はちがったりする。生が尽きるまでどうせなら、なるべく楽しく生きるようにしたいなあ、と思う。そういうものだと思えば、幸せは自分の中で無限につくれたりするものなのかもしれない。

 

自分なりにできる範囲内でできる好都合なこと、時間と大切な人、自分個人の時間とお金の使い方を調節して、なにが幸せに感じるのか、変えられない時間になるのか、を大切にして。そういう思いは、確かに日に日に感じてきているところだ。

 

たまたま選んだ選択があまりよろしくないと感じても、そのときに必要な最善の対処の場合もある。不満よりも良いことに目を向けて。そう思って、嫌なことは極力避けながら、いいことにだけ集中すること。

 

いまある環境も、一瞬で過ぎ去ることでもあって、その中のほんの嫌な瞬間に気を取られたり、自己嫌悪に苛まれてしまうことは、あまりにも、もったいないことだから。

 

旅行の中でも、読書をしているときでも、お金で買えない時間、経験は、自分自身の中で生み出す、行動を起こすからこそ得られることがでてきたりするもので、
縁も、自然と続くものであるし、努力して継続させたいとも思うものでもある。

 

そういうふうに良いことがあるのが稀だと思えば、幸せは感じやすくなったりする。

 


考えてみれば、とくに何かが長けているわけでもない平凡な人間だ。内向的で、基本的に何かを買ったり、出かけたりしても、あまりときめくわけでもなかったりするインドア派。連絡も基本マメではない。
……といっても、家で過ごす時間が格別というわけだ。
社交性は乏しい方で、社会不適合者だと思うけれど、それでも人当たりは悪くない方だと思ったりもする。最低限の道理はわきまえながら、他人に迷惑をかけない程度に楽しむ。
そんなふうに気をつけてはいたいな、とおもう。

 

それでも、日常で欠かせないと思うことといえば、読むこと、誰かの話を聞いたりして個人だけの時間を多く確保し、創造力を高める、記録する時間は、必要に感じている。
かれこれ数年間、ほぼ毎日記録をつけている調子だ。

 

よく考えてみれば、それだけの楽しみがあればいいんじゃないかな?と思えてくる。わたしにとっては、このあれこれ考えて、 生き方をより良くしていく時間が好きだったりする。 自分自身に必要だと感じる情報を見聞きしたり、新しいことを学んでみたりして、考え直す時間が。

 

結局、誰かの生き方と自分自身の生き方を一緒にしてしまえば、苦しさも葛藤も複雑に増えるだろうし、そもそも一緒にはできない、という結論にいつも戻ってしまうような気がしている。そういうのが、わたし記録の論点だったりする。

 

日々欲望や願望、知的好奇心が生まれるものだけれど、そういうことをコントロールしながら、分別をわきまえて、自分自身のライフスタイルを築いていくようにして。簡単なことではないけれど、理解はしながら、日々もがいている……

ほんとに頭の中は複雑で、いつも一定ではないよ。それでこそ、考えてみたり、新しい工夫ができることが面白かったりするのだろうなあ。

 

 

美味しいご飯を食べて、よく読んで、考えて、行動してみようとくることに
集中しようと思います。

 

 

 

 

 

日常の発見|クォン・ミナ著「ひとりだから楽しい仕事」を読んで


忙しいほうが、日常の暇をいつ確保するか、その大切さが感じやすくなったりする。あえて忙しくするほうが、余計なこともしなくて、考えもしない。
朝、または午前中は、なるべく携帯をさらわないようにした。一日は計画的にし、やるべき事をこなしてから、そして暇だとしてもSNSは昼、夜にまとめて見るようにする。たとえ休みだとしても、余白を作る時間だとしても。そうすると、一日が非常に有意義に感じる。

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珈琲は部屋のどこでもよいしょ、と腰掛けたくなったところで座って飲んでしまう。地べたで座るのがたまらなく落ち着いて、その体勢だと、物事が自然にはかどりやすい気がしている。外の明るい方向を眺めながらすると、なお良い。ぼーっとする時間が意識的に思考の再整理が働くと言われているけれど、まったくその通りだと実感する。本を読む時もそうしている。
そういうときが、決まって私の憩いの時間にもなり、慰めの時間にもなる。

さて、いま読んでいる本も、自分自身になんとなく当てはまる気がする内容ばかりで、面白く読んでいる。

クォン・ミナ著/ひとりだから楽しい仕事

最低限の道理をわきまえ、他人に迷惑をかけない範囲で、最大限に世間と距離を置いて生きている。……こんな生き方をしていていいのだろうか?夜に眠りにつく前に自問自答してみるが、朝になってまた日が昇れば、また気楽な孤独を選んでいる。

クォン・ミナ「ひとりだから楽しい仕事」より

 

 

この一冊の文章たちは、同じ孤独に生きることを選びがちな人間の複雑さ、安心感、時間の使い方、生きやすさなど、私の心を代弁してくれるかのようでもあり、内心大いにほっとさせてくれた。文章を書く者好きにはたまらない、読んでいて心地よいほかない、と言ったような本。まだまだ読んでいくうちにまた違った視点が出てきそうで、楽しみである。 

 

いいねを押してくれた人の記事や偶然みかけたものを読んでは、参考にしたりもする。読んで込み上げてくるものは、自然に思うことが生まれてくるもの。とくに、日常についての細かい描写とかではなく、心情ついて書かれたもの。そういうあらゆる意味ではっきり書かれていないものほど、おもしろく読んでしまったりする。

 

 

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夫が帰ってきてからのこと、やっぱり快適だなあとつくづくおもう。子供たちも父親という存在を身近に感じて、自然と吸収することもあったりして、余裕も生まれている気が。
そんなとき、母親であるわたしにできることは少ないよなあ……と思ったりもするが、それでもなんとか父の不在を埋めるかのように家族3人でふだんは生きている。

それでも、夫が常に居ない日々だからと言って、子供たちが毎日お父さんに会えないからといって、役割が増えるからと言って、大したことではないよね、と思いながら、夫や子供たちに日々支えられているよなあと実感しながら、懸命に今という日々を楽しもうとしている。

実際にこういう環境になってからのこと、メリットも感じている。
できないなあと思っていることも、自分でやるしかないよね、と生活のために必要なことはやるようにもなれば、腹をくくったりもして、決意もする。
それと同時に、自然と変に無理なこと、億劫なことも浮き彫りになってくるようで、別にやらなくてもいいよね、ということも取捨選択しながら、やらなくなってきたりしてきている。こういういまの生活スタイルは、要所要所で問われることも多く、新鮮な気持ちになる。

そして、いつも気が変わったように生活習慣が変わったり、新しく追加されていくことが面白かったりするときには、不思議とやりたいことも増えるものだったりする。

 

 

 

 

 

 

新しい本がまとめて届いた。読書日和。

 

9月が始まった。いやあ、早い。

新しいできごとや環境、試行錯誤することなどについて、あれこれどうやっていくかまだ掴めている気がしない。それでも、それでこそ人生だと思う。

その時々でやってくしかないし、その都度「ああ、これが私にとっての新しい捉え方になるのかあ」が生み出されていくわけで、まっく予想外なものだったりする。

……そういうのが面白い。これが、また。

 

とりあえず、今月の旅行が楽しみだ。カウントダウンが始まっている……

 

 

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新しい本が届いた。毎月これほど買うと決めて、あとはなるべく購入しないようにしている。その方が、真剣に本を厳選しがいがあるような気がする。そして、届いたその日に、すぐ読んでみられずにはいられない。買った日すぐに読むことが頭に入りやすかったりするから、旬は逃さないでおきたい気持ちになる。

 

ザラっと読んでみて読みたくなったのが、数冊。

 

読んでいく後に、感想を。

個人的な世界観が広がっている作者らしいと想像ができるような本に出会えるときには、思わずにんまりしてしまう。

どんな読み物でも、あくまで個人的な感想にはなるのだろうが、それもまた新しい意見としてひとつ加わって、誰かの考えに行き届くのではないかなともおもう。読書感想文や読みものは、そういう面白さがある。

 

 

良くも悪くも個人的な世界観を持っていることは大切なことだと思う。それをとやかく誰かが言う必要もないし、少なからず個人的な日々のモチベーションを維持する捉え方になっている気もするから。生きがいにもなっているはずだから。ひねくれているとはまた違って、個人的な世界観で語られる筋の通った純粋な散文。そんなものが、心地いい。

 

 

結局は、好き好むジャンルといえば、何かを参考にして述べることは簡単だけれど、自分自身の生活の中から芽生えたエピソードを自己語りする世界観があるもの。

そういうものに感動したり、興味深くなったりして、思わず見惚れてしまうことが多いような気がするところ。

 

 

 

 

あなたの心の中の未解決のものすべてに対して、忍耐強くなってください。たとえば錠のおりた部屋のように、あるいは外国語で書かれた書物のように、問いそのものを愛するように努めるのです。ライナー・マリア・リルケ

 

 

 

 

 

 






 

 

 

こういう時間に日々癒されている。


2023年の子供たちとの夏休みも終わり、今日からまた少し目まぐるしくなることも増えるだろうけれど、心配はしないようにしようと、改めて思う。

いやあ、それにしても楽しかったなあ、今年の夏。大きな一年だった。子供たちと3人で過ごした夏。
来年の夏休みのことは、あえて想像しないようにしておく。

 

期待以上に状況を考えやすくなってしまうと、苦悩は膨らむ一方になってしまうことがある。
自分自身が思ういい人になりたいという気持ちはあっても、自分自身の振る舞いの範囲内を越えてしまう行き過ぎた態度、行動をしてしまうと、ひどく疲れてしまうことがある。
無理に頑張りすぎると、相手もきっと気を遣ってしまう場合もあるだろうなあ、と。

誰かと接する際にも、あえて着飾らないほうがこういう性格の人なんだな、とわかりやすくていいのかもしれないと思ってきている。そのほうが、相手も自由に振る舞いやすのかなと。

大切なのは、無理に好かれようとするのではなく、気配りが必要なのかもしれない。

 

子供たちともそうだ。お互いに適度に、気を抜きながらやってこうじゃないか。
物事によいも悪いもなく、考え方によって良くも悪くもなるだろうから。
そういうことには、気をつけたいな、と。


 

久しぶりに一人で肩の力を抜いて、ただ座って、リラックスして。慌ただしい仕事からしばらく抜け出し、息抜きする時間をとる。

珈琲は部屋のどこでもよいしょ、と腰掛けて飲みたくなる。地べたで座るのがたまらなく落ち着いて、好きだったりする。

最近の夜は、Netflixで配信されている韓ドラを韓国語を渡韓までになるべく馴染ませるためにも、よく鑑賞中。

 

心に余裕があると、いつになく考えもつかないことが、思い浮かんできて、これは、余裕があるということなの?余計な考え?
いや、きっとなにか考えていく内観のためにあるんじゃないかな、と物思いにふける。

 

こういう時間に、日々癒されている。

 

なので、やるべきことはあるけれど、あえて今日はしないようにした。
それでも、明日からは夫が帰国する。
なんだかもっと気が抜けそうだけれど、変わらず気を保って、過ごしていこうと思う。


そうそう、これでも整理されている気がしている。
良かったこと、不便なこと、煩わしいこと、そういったことをひっくるめて。

ある考えがひとつひとつ浮かび上がってくるように、じっくり整理しながら書いてみる…

こうやって書くためにあると思う散文記録。

 

 

子供たちは、お昼前に帰ってきて、お昼に一緒にカツサンドを。



今夜は、久しぶりに涼しくて窓を開けて寝ることにしたら、虫の鳴声の大合唱が心地よすぎて……頭の中に音波が振動してマッサージされるような感覚になります。

(虫の鳴き声は、α波を発生させるリラックス効果があり、自立神経の乱れを整え、心身の疲労回復、ストレス軽減、眠れない時などに虫の音を聴くと心地よく眠気を誘うそう。)


……うん、まさにだな、とかんじているところです。

 

 

 

[blog:g:11696248318754550899:banne

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メンタルヘルスにいい習慣。韓国スタバのタンブラー。2023年の子供たちとの夏休みが終わる。

最近はなんだか少し疲れやすく、
1日を無駄なく活気よく過ごすためには、十分な睡眠を取らなければならないなあ、と幾度となく痛感するところ。

 

それに加えて、今朝、目にした記事には、「野菜を摂取することがメンタルヘルスに良い影響を与える」とのこと。

https://yuchrszk.blogspot.com/2023/08/blog-post_31.html

たしかに最近、野菜を増やした食生活を送っていて、心身ともに調子が良い気がするのもなんだか納得。

 

時間を空けたときには、珈琲を飲むか、家の庭を眺めたり、観察してみたり、その時々の気分によって、本を読むか、映画鑑賞をするか、お気に入りのYouTubeを観るか。
だいたいそういうものから、だいたいはインスピレーションを受けている。

 

最近感じる変化としては、少々音楽を聴こうと思わなくなってきたということ。


というのも、自分自身の生活から流れる音や景色、思考に没頭する時間、そういった誰とも比べない自分の日常の中に時間に集中し、愉しめているからこそ、あえて雑音に入り込むようなものにもなりなねないので気をつけたいなあ、と思うように。

 

 

そういうふうに、たとえしょうもないことだとしても、自分にとっては何か生きがいになること。好きなものにはときには時間をあえてつくり、時間をかけて。限られた時間は、限られた心地よい時間、範囲の中で、暮らせたらいいなあ、と。
そういうものに満足しているところ。

 

気に取られていることはあちこちまだまだ多いだろうけれど、その時々で自分にとってよい意識へ向けて、折り合いをつけたりして、軌道修正。
そういうふうにメンタルヘルスに気を配っていきたいなあと思ったりするところです。

 

 

さて、韓国の友人からいただいたスタバのタンブラー。



いつも愛用しているコーヒータンブラーとはまた機能性やデザインが違って、大好きなお友達からの貰い物というのもあって、使い心地もよくてお気に入り。
アイスコーヒーも韓国からということで気分もまた違って、美味しいものです。



 

そして、今日でいよいよ子供たちの夏休み2023年が、終わりを迎える。
楽しかったなあ。
 
子供達と一緒にお味噌汁を作りました。
いりこ、こんぶを加えて、お出汁を取り、味噌を加えてみんなで味見。
 
そういえば、幼かった頃に母が味噌汁を味見させてくれた瞬間がすごく好きだったのを思い出したのでした。
 
 






 

 

 

韓国旅行計画2023年夏。大切にしたいこと。

 

 

最近は、韓国旅行のために現地にいる友人との計画がおもしろくてたまらなくて、あれ?そういえばしばらくちゃんとメイクもしていないけど、どうやってしてみる?とか髪の毛も染めてみたり……見た目も小綺麗にして行かなければ、と心が少々忙しいけれど、気持ちの良いメッセージを交わしながら癒されている。

 

そして、閉暇を確保したとすれば、読みものをする。

そうして慌ただしい仕事からしばらく抜け出したり、内観をするのはとてもいい。

読書は、やはり簡単に旅気分になれる。新しい人に会うような気がしたり、新しい知識を得られる。

 

今日すれ違った人、見かけた人、何気なく過ごした一日だとしても、その時々に見かけることをよく振り返ってみれば、驚くべき発見をすることもできる。そういう日々の生活に意識を向けることである発見は、個人的な生活の基準となり、個人的な成長を促すきっかけにもなることもある。

心を揺さぶるような出来事に遭遇したり、自分自身で新しい経験を作り出すことは、生きているという実感を与えてくれる。

 

ああ、そう、大事なのは、自分自身の人生であるように感じ、楽しむことだと思う。

 

毎日、好きなものと人たちと本とアイスコーヒーに囲まれて。そうして、なんとか正気を保っているような気もして。




こういうときに、書きたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国の友人から小包が届いた。欲しかった本が手元に届いた日に思うこと。

 

さて、読みたいその時々の旬の本は、まったく代わる代わるもので、さまざま。

その中でもお気に入りの殿堂入り的な本は、あまりゆるがなかったりする。

 

過去の自分と比べてみても、まったく理解できないような感覚にも陥るし、それでも比べようにもならない。今は今、過去は過去、といったような、割り切った考え方もできるようになるようにもなる。

考え方も変われば、好みは変わる。それでも、抱いている理想的なものは変わらない気がする。読みたい本も理想像の中へ……

 

そんなふうに読む本も変わっていくのかな、と。

 

わかるのは、そういう孤独に考える時間がとても好きだったりするということ。

 

 

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韓国の友人から小包が届いた。私の誕生日だということで。

中身を開けた瞬間、忙しいさ中にも懸命に考えてくれた気持ちが伝わってくるような内容だった。

 

友人は、いつも本好きな私にオススメの韓国本を毎度送ってくれる……なんとありがたいこと。

という私も韓国エッセイ好きで時々物色しては読みたくなるために、どうしても読みたい本を友人にお願いしてしまったということもあるのだけれど、友人はそれでも私が本好きと知っていて、快く受け入れてくれた。そして、本が届いた。

 

いまは、こうして韓国の教保文庫にあるらしいルームフレグランスのいい香りに包まれて、友人が読みたかった本を送ってくれたことに浸りながら、ずっと読みたくて携帯の画面から覗いていた本が目の前にある現実……

なんといい気分だろうか。お気に入りの部屋の中には、まるで新しい時代が吹き込んだ気分。私の中の理想的な思い出が詰まってくような感覚。

 

もしかすると、このまま毎度本をお願いしてしまいそうな気が……

もしかして、韓国本棚ができるかな??なんてなんだか勝手にそんな想像をすると、幸せな気持ちになってしまった。……おっと。

 

さて、やはり海外文学を読むことはおもしろい。

感性的なものが国によって現れ方がちがうものだし、その部分に魅力を感じてしまう。

また、翻訳の仕方で読みたくなるか、読む気がしないかになってしまう気もする。

言葉のニュアンスはやはり、大切に思ってしまうけれど、それもまた、国境を越えて似たような思いが紡がれているような感覚にもなる。

 

 

さて、韓国の友人に頼んだ本「明朗な隠遁者(명랑한 은둔자)

」に書いてあった、お気に入りの一節。

 

贅沢なことだよ!友達は私が一人で働く小さくて端正な作業室を聞いてみた。私一人以外には他の人が入る余地もない部屋だけど、そこには私が働いている間に私の袖を引っ張る人がいないし、邪魔する人も、集まりや会議に行こうと引きずり出す人もいない。どれだけ楽だろう!友達は結婚して、フルタイムで働いていて、幼い2人の子供の母親だ。最後に一人で夜を過ごしたのがいつだったか、這いもしないって言ってた。私で言うと、一人で夜を過ごせなかったのがいつだったかよく思い出せない。友達はつぶやいた。いつも一人でいるなんてどんなに楽しいんだろう。

 

 

 

ソクハンパーティーで、部屋いっぱいの25人の人たちの中に週中に参加したパーティーで、部屋いっぱいのスプン5人の中に立っても孤立できる。孤立したと感じられる。それは逃げたい気持ち、距離を置きたい気持ち、私が外見の向こうではなく恐れているのか、あるいは問題だらけなのか、誰も知らないようにするために障壁を立てて、その裏に隠れたい強迫と関係した感じだ。

 

 

 

……ああ、よくわかる。

 

子育てをしていると、ある意味周りからのしがらみから解放できる時間も確保でき、そのおかげで、随分と自分自身の人生について内観することができた。

それでも、子育てをしていると、ひとりの時間もときにはむしょうに欲しかったりする。けれどもそれも結局、つかの間。しばらくの間一人で過ごしてみると、なんだか最近は一人は寂しかったりもすることに、気づかされる。

 

良い意味で社会との強調性も持ちつつ、良い面での風潮みたいなしがらみも良いものだったと思って。

そういうバランスが常に問われる気がする。

 

結局、なにかをできるようになるために考えたり、知っておくことは、役に立つと思えるし、尚、一人でできることを増やしておくと、いい。

いま現在、そう思ったりするところ。

 

 

ところで、韓国エッセイはなぜ、こんなに表紙が洗練されているのだろう? リルケの表紙みたいなものは、めったに出会えないと思っていたけれど、韓国では現に素晴らしい本に出会えた。安易にありそうな気がしてくる……まったく不思議だ。 孤独・寂しさ・内気さ、社会や人間関係について、の向き合い方が満載で、これまた読みふけってしまいそう。

 

 

 

ある作家はこう言っていた。

「私的な空間が十分だが持続的な交友がある」状態だ、と。

 

私の空間といえば、田舎の小さな家という形で実現されていて、家族と小規模の親密な友人で満たされていく。日に日に、そんなような気がしてくる。