とある暮らしの散文日記

珈琲、読書、観賞など。日々感じたこと、考えたこと。好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。健やかで丁寧な暮らしを求めて。

敏感肌でも使えるスキンケア、メイク用品で快適ライフ。(セザンヌアイブロウ、セタフィル乳液)

 

必要なものは、まとめて宅配で頼んでしまう派。送料のことも兼ねたり、子育て中に消費するエネルギーを削減するためにも。田舎住みのため、移動距離をも兼ねて。ネット注文さまさまの環境だったりします。

 

 

さて、そんな最近購入して良かったものをご紹介してみようと思います。

 

 

CEZANNE(セザンヌ)ノーズ&アイブロウパウダー



2種類から選べますが、私はナチュラルな方を選択しました。

 

評価よいと噂のとおり、コスパ良しです。

3色使ってグラデーションみたいに塗り重ねてぼかしながら使っています。

 

 

セタフィル /モイスチャライジングローション 591mL( 保湿乳液 )

 

 

肌に取り入れるものもカラダ同様、栄養補給をして健やかに保つもの。自分の体質に合うもの。を選ぶことが大事だと思っています。

 

その点、セタフィルの乳液は“皮膚科学発想による独自処方”で、敏感肌の方〜赤ちゃんも使える低刺激処方ということで、安心感を覚えました。

もったりとしたテクスチャーで、プッシュした後に垂れる心配もご無用。無駄なく使えそう。
塗ったあとも吸着してベタつきません。

口コミもよさの通り、

肌の調子が良くなります。

 

メイクノリが良くなる、

塗ったあとは、もっちり、しっとり。保湿力も感じられます。

 

凄いところが、持続して保湿してくれるところ。塗るために使った手もハンドクリームみたいになって、保湿されて。こんなに手が潤ったのは久しぶり。

 

 

最近よく感じるのが、優良な商品は、肌への浸透力も早く、肌馴染みがよく、整う。

それなのに、ハリと弾力が現れる。

 

そういう条件が揃うものが、健やかな肌に整えてくれる感じがします。消化、吸収よく、すぐ栄養として運んでくれる食物みたいな感覚です。

 

忙しい子育て時のスキンケアも、健やかな肌を保持できるので、大助かりしてます。

 

 

クレンジングオイルは、安定の「ATRUE」を使用しています。

洗い上がりの保湿力と滑らかさが残る感じがこれまでにない商品。

たいへん気に入っていて、愛用中です。

 

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メイク用品は、相性とか好みによるのかもしれませんが、とくにスキンケアのものになると、使った後の効果、実感で、物の良さが、結構わかってしまうのだと思います。地肌につけるものなのではっきりします。

 

そういう発見をしつつ、スキンケアライフを楽しんでいます。

 

 

 

 

 






 

 

ご褒美時のお取り寄せスイーツ、買って快適ライフになったもの

 

子育てと仕事の合間にたまにご褒美としていただくお菓子。

毎日は食べられないようなちょっとリッチなものもいただくときは、なんとも言えぬ幸せ感が押し寄せます。

 

最近食べて美味しかったのは、

フルーツサンド。

 

軽いビスケット生地と濃厚なバタークリームに挟まれたフルーツが、いい味を引き立てる。

フルーツサンドは、なんともたまに食べたくなるご褒美時のお菓子のひとつです。

 

 

今回の「銀座フルーツサンド」は、中に挟まれている果物が3種類もあります。
「マスカットレーズン」「苺」「柚子ピール」

それでも、レーズンにおいては、六花亭のマルセイバターサンドには、劣るなあという個人的な印象でしたが、色んなフルーツのバターサンドがいただけることは至福。

 

 

さて、先日のこと。

子供たちが壊してしまったiPadの設定を行いました。これまで夫がすべてしてくれていたのですが、今回は画面越しで一緒に。

 

正直、一苦労しました。

言葉だけじゃ伝わりにくいことも多く、ビデオ通話があってこそ、さまさま。

知らなくて理解し難いことを試みるということは、かなりの負担も伴いますよね。

 

苦労するこの作業中、慣れないことの難しさと同時に出来てくことが増えてくうれしさも込み上げてきます。必ずしも、自分がしなければならない立場になると、試行錯誤でもするものです。

 

子供たちにも話したり、これをして欲しいと指示する際に気をつけなきゃならないな、と思いました。分からないことも多く、理解するのに追いつかないことも多いはず。

 

大人になっても分からないことは多くあります。挑戦してみるか、してみないか──と考えれば、必要不可欠なこと以外はなかなかしないものです。それでも、いざとなった時に実生活で生かせること、困った時に対処できることは、身につけておきたいもの。

 

そのような気持ちを痛感した出来事でした。

 

この際に、仕事用のキーボードも購入しました。

ロジクール ワイヤレスキーボード K380 無線 キーボード 薄型 

近頃、携帯は便利で扱いやすくても、目への刺激と疲労感は否めない。

視力もガクンと低下した実感がすごく、恐ろしいので、なるべく目への刺激を抑え、労るために購入を決意。

 

記録メモ、日記をつけるためにも携帯を使ってますが、投稿用はiPad、キーボードに切り替えて、作業するようになりました。

 

iPadとキーボードの色合いもよろし。

メガネ拭きクリーナーで画面を吹く。個人的な便利な活用法。



 

健やかさも気遣うことで、より快適ライフになる。

そう思うのでした。

 

 

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最近思うあれこれ(大切そうなこと)の備忘録

病気がちだと珈琲がいただけなくなる。不思議です



何かに固執することは、満たされる回路を狭めていたこと。

切迫した忙しない日々の中でも、ゆとりを持たせ、感謝すれば、欲は減り、目の前にあることに幸せを見いだす。よき循環ができてくように思います。

 

SNSも発信によっては、大勢へ向けて意見を発表しているのと同じ場合になってしまうこともある。

SOSを使って声をかけたのなら、立ち止まってくれる人もいれば、それが真偽なのかを見極めて、自分にとって懸命な判断をする人もいる。興味無いことは誰も関心を向けにくいだろうし、どこか重なる部分、コアな部分で交流を楽しむこともある。やはり、楽しめることなら参考にしやすい。

 

その点、話したいことを話し合える人と出会うことは、むずかしいことです。

そんな中、互いのよきタイミングで、偶然なのか必然なのか分からないけれど、出会える良き縁もある。

 

それでも実際には身の回りで助け合える人ほど、心強くて、支えになる人はいません。“風邪をひいて助けてくれる人がいたら”というように。

たとえ遠く離れていたとしても、時々会い、良き思い出を作れたり、心通じあって繋がっている場合もある。

 

結局それぞれの意識次第になるのだろうけれど、意識がブレずその軸を元にして物事を判断していく意識行動ができれば。誤差も少ない。身の回りを円滑にしていけたら、幸福度が増す。

 

ちょっとしたあれこれ大切に感じている備忘録としました。

 

 

追伸:

昨晩は、風邪をひいて痛みで夜は眠た気がせず……。ここまで痛みと向き合って何も考えられなかったのは久しぶりでした。

それでも避けられない子育てと家事。夫も海外にいるため自力でこなすしかなく……「こうして人は一歩強くなるのかも」と思いました。なにかに耐えて、強くなろうとする免疫力を高めていくことで。

それでも子供たちに支えられて無事回避しています。

 

 

 






 

 

 

最近思うあれこれ(大切そうなこと)の備忘録

最近好きなおやつ。 メープルシロップをトッピングして

 

望みは、目の行き届く範囲で努力して改善してほどよく満たされる。そう意識して日々調整していくにつれて、穏やかに過ごせている気がします。

 

歳を重ねてくにつれて、良い意味で人生に期待しなくなってくると言いますが、まさにその通りだと思います。今あることに集中して大切にしていくことから現実と向き合い、満たされてく気がします。持っている芯の部分は変わっていないけれど、取り入れ方、取捨選択の仕方、物事の分別が移ろいでゆくとともに。知恵も増えれば、意識がまとまっていき、幸せのあり方も見出されてく気がするのです。

 

 

さて、このごろイギリス、北欧系映画、文学を好んで観る機会が多くなりました。きっと人柄を見てしまうのだと思います。ユーモアとか、豊かな表情とかセンスとか。そういうのが華やいでみえるのです。きっと、そういうふうに生きていきたいんだろうなあ、とか、そういう「良いな」と思うところをみつけていく中に、生き方をまとめていける気がしています。

 

 

鑑賞するときも、個人の感性に触れて、参考にしたい部分は胸に留めておくようにして。言わんとすることは理解できていたのに、まるで新鮮で、大切な視点を発見できる。──そのような考えができる瞬間が、すきです。

 

持っている芯の部分は変わっていないけど、取り入れ方、取捨選択の仕方、物事の分別が脳内のひも付けが移ろいでゆくとともに、調整されてく気がする。ふと、そう感じるのです。

 

 

 

常日頃、感じてきている事なのですが、日常の中に発見を、楽しさを、ゆとりを、大切に綴っていこうと思っています。読んでくださる方へも、ちょっとした一休みになるようなblogを。(個人としてちょっとしたつぶやきになる場としても大切にして)

 

心の持ちようとしても、互いにとって価値あるものをやりとりする環境、良し悪しつけないコミュニケーションの場だと思う方が、気楽に、楽しく過ごすことができるように思います。そのほうが「生態系」としても、普段人と人とが会話する上でも円滑になる点と重なります。

 

ポジティブな関係が成立しなければ、生きるのもしんどさが生まれてしまう。互いにポジティブな感情が生まれる関係、価値のやり取りができる関係。買い物するものでも自分にとって応援したくなるとか、有効さがある。そういうことが日常を活気づけてくれると思ってきています。

 

とくに、SNSは色んな人が密集している地域に住んでいて通りすがる感覚がする。ハーバードの教授がインタビューでこう答えていました。“SNSは、社会生活におけるジャンクフードです。高カロリーで栄養が少ない。対面交流の代わりにはなり得ないのだ”と。この意見には、わたしもこのごろ身をもって感じているところ。

 

SNSは、好きなことをシェアし合える感覚で、実生活を充実させていくついでに楽しむ程度にしてくこと。色んな人がいて当然だからこそ、好き好んで属しやすい場所で。方法で。好きに呟く。個人的に共通点のある趣向性をもっている方と、ときに挨拶を交わしたりして。好きものこそ上手なれ。

 

そういうふうに継続して楽しんでいくこと。本人にしか通用しない領域もある。そこを共有する感覚でいるのが、楽しくなります。

 

そういう面で、いつもNOTEやblog、その他で、定期的に読んでくださる方が増えてきているという状況に、頭が上がらない思いです。心より、感謝申し上げます。

 

                      

追伸:

体調管理がむずかしい季節です。暑くなったり寒くなったり……一体、自分の身体の体温調節どうなってる?と思うことが多い季節。またもや、次男の風邪がうつってしまいましたが、夜にしっかり休んで横になっていたら、朝には体の気だるさが和らいでいました。珈琲が飲みたくなるというのが、元気が余っている証拠。それでも甘くみず、大事にしてこうと思います。
みなさまも、どうかお身体ご自愛ください🍀

 

 

 


 






 

 

身の回りのことをもうプラス改善していく

 

:とりまく環境からこそでてくる幸せ

連休が明け、久しぶりの1人で過ごす時間も確保できるようになり。ちょっと神経をやすませることができています。それでも、何はともあれ、とにかく毎日大変。ちょっとした気休めの必要性をひしひしと感じています。

 

というわけで、昨日は用事や仕事を済ませた合間に、少し特別に、自分を労うためにランチへ向かいました。なんとも至福の時間でした。

 

この幸せ感は子供たちが元気でいてくれて、少しの合間の休暇だからこそ感じられるものであって。あくまでも子供たちが存在してくれて、私の生きる活力と活動が存在するための、つかの間の至福の時間だからこそなのだと思いました。


:変化する中でも安心する居場所を

これまで自己啓発的な教えが記されている「○○な方法的なもの」を読み漁り、参考にするためにしてきましたが、個人的にもう疲れてきていて。読むと左右されやすくて、自分で自分の人生を振り回すモードに入りやすいので、自然と読まなくなりました。

 

情報には、あることなすこと影響も受けてしまいかねないわけです。自己判断の大切さをより一層感じてきています。

 

誰かの意見を聞いて、焦ったり、切迫する気持ちになったりもするけれど、そもそもそれぞれの適応してくための生き方があるのだから。感銘を受けたり参考にしたくなっても、大切なことは、「取り入れたい点からさらに、自分で導きだす自分なりの答え探しの材料として考えていくこと」だと思ってきています。

 

なので近頃は、たとえば自分なりの日常の思いを、独り言のようにつらつら記されている文章が好きだったりします。そういう中にこそ、日々の大切なモチベーション維持法が隠されていたりします。

 

誰かの綴っているブログや映画、ドラマの物語から、日常のとある物語を聞いたり、観たりする観点からの方が、なんとも感慨深く考えやすくなります。ラジオのようにただ聞いてみているくらいが、ふと頭の中にインプットしたい部分を感知して、すんなり心に入ってくるような感覚を大切にして。

 

個人的にその内容を好むかどうか。──好きになれるかどうかって、けっこう大切な部分だったりすると思うようになりました。自分ではない人を知ることも、人生の大切な意味になる気がしています。「生きる楽しさ」とは、そういう中から現れいでくるのだと思います。

 

結局のところ、環境に左右されて、得ることが必ずある。複雑な暮らしの中で「いかに快適に暮らすために工夫しておもしろくしていくか」とか、「好きなことを集めて耐えていくか」が必要だと思うのです。

 

ひと言で好きなことといっても、縛られていくのはいいことではなくて、その都度でもあると思って付き合うこと。変わらないことは、自分のためになっていて身についていることだったりして、自分にとって自己探求として続けやすく、取り入れやすい方法なのだと思います。それが、私にとっては、物書きなのかもしれません。毎日の積み重ねで先も分からないけれど、その先の一日一日を大切に繋げてくための方法として。

 

例えば、子供たちと過ごしていてごく自然に風邪菌に抗体がつくとか。今日新調した眼鏡の度にも不自然だった感覚から慣れるとか。そういう必然的に自分の身の回りを選んだ中でその環境に適応していくために起こってくることがあります。


最近は、あれこれでてくる欲について考えるというよりも、人生のウンザリする場面をうまく回避する心得みたいなものを見つけ、目の前の環境をより良くしていくこと。それだけで気楽に生きてける気がするし、そこが大切に思ってきています。

 

 

 

 

 

変化させ、改善してくこと

最近の天気は、曇で日差しがないか、風が強めに吹いているかで、気温が上がっても快適です。その代わり、ひんやりした飲み物が恋しくなります。

 

先日は、冷凍庫にある余り物でオリジナルアイスコーヒーを作りました。

濃いめに抽出した珈琲にメープルシロップを少々注ぎ、氷とマンゴーとキャラメルアイスをトッピング。



最近、お菓子類があまり欲することがなくなってきたけれど、なんか甘いものが欲しくなる時にコーヒーを甘くしてデザート感覚でいただくことが多くなりました。

 

 

 

さて、近頃気になっていた視力低下のために眼鏡の新調をし、今日取りに行きました。

新しくするのは、5年ぶり。近年の眼鏡の進化にも驚きました。 新しい眼鏡は着け心地がよくて、軽くて、とても気に入ってます。あと、デザインの好みも変わったようで、それがまた以前の眼鏡よりも、自分に合う。気分が良くなります。

 

さて、最近思うことといえば、

ブログを書いてきて良かったなあ、と思っています。NOTE同様、2年前ほどから始めました。

はてなブログを愛用していますが、使いやすく、雑記的な記録の仕方を好んで書く方も多いような気がしていて、居心地もいいです。フォロワー数も表示されず、〈読者になる〉ボタン 、記事が気に入れば、〈はてなスター〉という(いいね!マークのようなもの)を、クリックするだけというしくみです。

物書きが好きな人には、心地よく綴ることができる場だと思います。

そういう面で、読者の方も日に日に増えてきていることが、うれしく、有難くなります。誠にありがとうございます。

 

ブログは、私にとって気楽に書けるという趣味のような場所でもあるし、大切な居場所、過ごす時間にもなっています。

 

綴ることも言ってしまえば、自分との向き合い方にもなっていて、この先どうなるかも分からないことと向き合っているような感覚です。そんな散文になってきているなあ、と。

 

ときには、何をしたらよいのかわからない、とか、何をどうしていけばよいのかわからないとか、そんな漠然とした空虚感がおしよせてくる時もあります。

それでもよく考えてみれば、ブログは私にとって、大切なことを続ける、楽しい時間、向き合い方の延長線だと思って続けるモチベーション維持にも繋がっていますし、一息つく場所にもなってるのだと、思います。

 

そんな時の気持ちの予防線として書き出してみると、案外すっきりしたり、気楽になれたりするのです。そういう場所、場合も必要だなあ、と思うのです。今はちょっと「考えや言葉を無理やりまとめない時間」も必要だなあ。ゆっくりやってこう、と思ってます。

 

結局のところ、環境で左右されて、得たりすることがある。複雑な暮らしの中で「いかに快適に暮らすために工夫しておもしろくしていくか」とか、「好きなことを集めて耐えていくか」が、必要だと思うのです。

 

最近は、あれこれでてくる欲について考えるというよりも、人生のウンザリする場面をうまく回避する心得みたいなものを見つけられたら。それだけで楽しく生きてける気がするのです。

 

ひと言で好きなことといっても、縛られていくのはいいことではなくて、その都度でもあると思って付き合うこと。変わらないことは、自分のためになっていて身についていることだったりして、自分にとって自己探求として続けやすく、取り入れやすい方法なのだと思います。それが、私にとっては、物書きなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の鑑賞会と人生と

 

昨晩は、久々に、夜の鑑賞会がしたくなり。〈before sunset〉という映画を観ました。

 

MOVIE PRODUCTR公式youtu.beサイトより

 

いやあ、これがほんとに良かった。

〈物語〉は、再会した2人がウィーンの街を散策しながら、思い出話や人生、互いの近況について語り合う。──9割がこのシーンなのに、会話だけ聞いていても面白くて、深い人生会話が繰り広げられて。終始惹き付けられました。

 

主人公2人それぞれの生きる過程が違えど、会話の中での心境が重なり合っていく姿が、

観ていて思わず一緒に、「あぁ、わかる」と頷いてしまう。

 

ストーリーよりも言葉に耳をすませて観たくなる映画は、初めての感覚で。一節一節が美しく感じる映画。すごく良かったです。

 

この映画をみた後の夜、なんだかありもしないちょっと不思議で複雑な思考の夢をみました。映画の影響を受けたようです。いまの自分はどうなの?と、ちょっと立ち止まって考えてみたくなる、そんな時間がすきです。

 

 

“自分にとってなにが必要?と考えてみる。”

というそういう思いが強まる期間があります。無理やり絞り出すなかにも答えがぼんやりと存在するのが感じられて。そして、こうしなければならないという概念を意識していない最中に、探していた答えが浮かんで、わかってくる気がします。

 

自分で感じた懸念を見つめて気を取られて過ごしてくよりも、こうしたほうがいいよ、という名前のついた思考法も。いまを生きて、毎日を自分なりに懸命に生きられる方法を考え直してみるだけで、なんだか己で知っていくような気さえしてきます。

 

何かにこだわることなく、誰かに強制されることなく、強制することなく、比べることなく。──ただ気になった本を読んだり、あらゆる作品を観たり、誰かに出会って考えるとき、“自分はどういう生き方をするのが良さそうなのか”という生き方の方向の指標を見つけていける気がするのです。あくまでも、個人の「こう生きるのがいいな」という知恵の話にもなる。なので、いまも誰かに話してみる小話として、記録してく程度で幸せだし、いいなあ、と。そう思うのでした。

 

最近の読書はお休み中
ちょっと疲れやすいときは考えを減らします