暮らしを愉しむ

日々、考えること、好きなこと、暮らしをつぶやく散文記録。読書、観賞、暮らし方など。

秋の訪れとともに、過ぎること。読書、鑑賞の秋。

 


サーキュレーターを起動させて、網戸にして、風を通せば、最高に快適な気温で過ごせるこの頃。時々出掛け先ででくわす冷房は、もう身体にも刺激が強くなって少々滲みるように。
この秋にかけての自然の風の心地よさが、なんとも身体を癒す。

 

昨日くらいから、急にまた一段と涼しくなりだして、ああ、長袖着たいとはじめておもう。
わあ…一気に秋だよ
気分もあれこれ変わりやすいけれど。

 

最近はこれといった複雑な悩みもなく、正確に言えば持たないようにして、個人の中で考え改めたり、捉え直して、といたって普通に平凡に日常を過ごせている気がする。

1度きりの人生だから、なるべく幸せに過ごせるように。

 

ここまできたらもう好きな空間、お気に入りの本、作品について話したくなる。
最近は読みたい本があるけれど、数日後の韓国旅行までは読まないでおこう。

 

読みたい本があるけれど、田舎の書店には品揃えがどうしても少ない。立ち読みできずになんとなくの作品の詳細内容、レビュー、個人的な感で選んで読んでみる。
正直、当たり外れはある。それがあってこそ考えることが生まれてきて発見があったりする。


さあ、いよいよ韓国行きまであと5日。

友人にプレゼントするものを選んでいるはずなのに、相変わらず陶器をチェックする。目が輝いてしまう。個人の作品に個性が顔をだしていて、自分用として見入ってしまう…。
ううん、今回は自分用じゃなくて、自分の好みとしてじゃなく、相手の立場になってみて選んでみなきゃ、と正気に戻る。

 

荷造りは、まだ。
旅行は滅多に行かないし、行くとしてもスーツケースをわざわざ思って行くほどでもない……夫の帰国の際に、青音のスーツケースを借りて行くために準備ができずに少々落ち着かない。

 

最後まで友人と旅行に計画について花が咲く。
無事に会えるだろうか。会えるよ、会える。
そう思いながら、期待に胸が膨らむ久々の旅行。

 

秋の移ろいとともに、頭の中に過ぎること。

 

 

今日は子供たちと久しぶりに昼寝をしてしまったせいか、眠れなさそう。
ということで、夜珈琲でもしよう。
たまにだから、こういう日があってもいい。

 

リルケは、やっぱり読みたくなる。

 

 

 

ご機嫌に過ごすために考えること。(秋、読書、鈴木祐さんのブログ)

 

ここ連日、朝から雨。しとしとふり続けていてひんやりと冷たい空気が入り込む。秋雨を感じる。薄暗い中に明るい日差しもある雰囲気も雨の日独特でたまにはいいもの。

家にいる分はその雨音を聞いているのがなんとも心地よいけれど、外出する際は、ちょっとやっかい……。

 

それでも、読書ははかどる。暖色のライトのほうが落ち着いたり、集中力も高まるのは、納得。

 

ちなみに、秋の初めに降り続く雨を「秋霖」ともいうらしい。いろんな言い方があるんだなあ。

 

 

オフの日にしよう、とダラダラと過ごすのはたまにはいいものだけれど、長時間ダラーっとし続けるのは、やはり生活にハリがなくなってしまう。そして、メンタル的にはあまり良くないことに気がつく。

 

昨日、そもそも人生とは不都合なものだ、とふと思ったときがあった。

思い返してみれば、そもそも都合よくいくことなどなくて、ちょっとの差で物事はズレたり、物事が捗らなくなったり上手くいったりとモチベーションを維持するのに一苦労なこと。

それに一喜一憂しすぎることはしないで、ただ気を配ることは忘れずに、私の気質や姿勢はヘンに曲げすぎないようにして。それでこそ付き合っていく中でよい縁も出てくるのだろうし、それもふるまい方、タイミングも含めてなんだろうなあ、と。

 

都合よくはいかなくても、なるべく都合いいように考えて、都合いいふうに生きることはできる。ご機嫌は自分でとって。そんなふうに生きてくのがいいかなあと感じるこの頃。

 

日々頑張ってくためには、ある程度のスタミナと充電時間が必要。好きの煩悩に溢れる空間で過ごす時間を取ったり、日常でこなすことのメリハリ、耐性を保つこと。バランスよく調子を整えることがコツじゃないかなあ、と。

 

たとえば、本を読んでいて共感したり、良い知識を手に入れたなあ、と気持ちよく読んでいたとしても、ほうほう、と読んでいるだけじゃただの快楽にすぎなかったりする。

大事なのは、そこから自分なりの行動に意識して日常で考え方を改善してみるからこそ、少しずつ改善されたりもしてくるなあ、と。

 

人間っていろんな考え方があるなあーと、本を読んだり、映画を見たりして自分の常識内で考える癖を取り外すためにも、アウトプットしてみるけれど、実際に「小説を読むと自分を変える行動力が身につくよ」という内容のデータもあるようで、なんだか納得。

あと、週12時間の読書で脳が大きくなるらしい。

 

 

自分の中の意見が正しいわけでもなく、いろんな捉え方があって、その中で自分自身を客観的に判断しやすくなる気が。

 

当然と思うことも相当変えられる。

 

大事だと大事だと思っていることも、気にしていることも、書いてしまえば、気にならなくなったり解消された気になって、そこまで重要でもなくなってしまうことも。常に記憶は更新され、消えたり浮かんだいったりするんだろうなあ、と。

 

トライアンドエラーを恐れず、繰り返す方が成長が早い。

“自分と他者を分けがち”

とういのは、昔から、防御反応にあることを認識しつつ、エラーパターンを認識することでより正しい判断がしやすくなる。それによって人類は進歩してきているんじゃいないか

という話はよく聞くけれど、

 

今できることをして、結果につながると思うことをトライアンドエラーでやっていく。

 

過去と未来も自分自身でやっていくことなんだろうけれど、過去と未来を切り離して考えて生きていく。

個人的な豊かさ、健やかに暮らす。

 

こういうことを意識したいきたいなあ、と常々思ったりするところ。

 

昼もひとりだから、と適当ランチだったけど、最近健康管理のためにもバランスのいい食事を意識してみようかと、 トマトはフルーツと野菜のような両方を兼ね備えてるような透き通った味わい。塩をかけるとシンプルに美味しく感じる。
最近、また吹き出物がチラチラとで始めているから、せっせとトマトやフルーツ、野菜を食べて、腸内環境よくして整えてみなきゃなあと。明らかに腸が弱め、免疫力低めで、炎症としてニキビも出るらしいのでわかりやすいセンサーとして測ってみようかな、と。

 

こういうふうになにか刺激をもたらして、何かものごとに意欲的になれる時間を作ることは、日常に活気をもたらしてくれる。

 

 

最近、サイエンスライター、鈴木裕さんのブログを読むことにハマっていて、本も何度か読んでみようと思ったけれど、そのときはな読む気になれなかったけど、再び読んでみようかな、と。動画の解説も分かりやすくて参考になった。

 

新R25公式youtu.beより

 

鈴木裕さん、おすすめの本も気になるから、また書店に行ってみよう。

flier公式youtu.beより

 

 

 

 

 

 

残暑が遠のく手前、秋風にも浸る日々の記録

 

近頃、朝食よりも昼食の方が楽しみに感じるようになり、朝は軽く食べ、昼頃にはお腹が空いてくるため、しっかり摂る。ご飯のおいしさをひしひしと感じ、合間の珈琲時間は相変わらず格別。というような感じ。

 

新たな掃除道具、はたきも隅々までホコリが取れ、非常に気に入っている道具。毎日ホコリが出てきて、これは買ってよかった。

水洗いして、干して乾かせば清潔に。

 

毎日窓を開けて過ごして、小鳥のさえずりを聞きながら、今このようにタイピングしている時間がなんとも身体が心地いい。今日は秋らしい涼しい風が少し吹き込んできて余計に。なんだか、ますます残暑も遠のいてきて、秋を感じる。秋だ秋だ。

 

雨が激しく降ったり、すぐに止んだりもして、温かいものも恋しくなってきたし、知らずに秋冬アイテムをみている。

 

色んなところで今年の秋を探す。秋ばっかりに意識をして過ごしているわけじゃないけれど、秋なりに楽しく過ごしていきたあ、と。

 

これから一気に秋も深まって、暑さなどどこにも残らなくなっていく…それでも、まだ暑さもある。こういう肌身をもってあらゆる感覚になる季節は、生活もなんだか慌ただしい。

 

まいたカモミールの芽も、少しずつ成長してきて顔を出す。

 

なんだか秋らしい本が読みたくなる。
秋をたくさん感じたい。

 

 


相変わらず、個人的に気になる領域で物事を考えることが日常茶飯事で、そのためにもよく読書に浸る日々。

 

読みものというより、気になった人、誰かから偶然聞く言葉から考えることが好きではないかと思ったりもする。

 

誰かの話を聞いて考えることも好き、SNSでは、プライベート空間、趣味の領域として気軽に楽しむ。親しい身近な間柄な人には教えないようにひっそりと。

読書、SNSやネット、テレビなどで出会う人からは、当たり障りのない日常や同じような土地勘のある人、よく話す人だけじゃなく、価値観の違いを感じて自分にとって楽な心がまえ、刺激になる新しい捉え方を受け取らせてくれることも。新鮮な感覚にもなれる。

 

あと、同じ内向的な類の人たち、違う考えを持っていること、それぞれ個人として自分なりの立ち振る舞い方を綴る個人論的なエピソードは、とくにすごく好き。

 そして、考えさせられたことをもう一度じっくり考えてみて、こうして文章にしてみて日記みたいに記録する作業が、一番好きだったりする。


あるみた記事で、内向的とは、
“内面を探求し、「ひとり」の時間をめっちゃ楽しむタイプ”と書かれていて、

内向的な人が幸福に長生きする方法ベスト3 | パレオな男

内向的な人が幸福に長生きする方法ベスト3という見出しで、興味をそそられてしまい、
読んでみたら、わあ、まさに私みたいなのじゃない?と。

 

こうして書いて自己解決したりして、日々刺激を受けている。
よく考えてみれば、これが私の一番のストレス発散法ではないかとも思う。
自分の性質をうまく理解して、ストレス処理能力を高める、生活の仕方を工夫してみる、とかバランスを維持する、

ということは、確かに大事だなあ、と。

 

 

まもなく韓国旅行に向けて少しでも不便ないようにと下調べをしているこの頃。
韓国の友人がとても親切で、ほぼ頼りっきりの旅行にはなるだろうけれど、今まで行った韓国旅行の中では、一人で行くということ、韓国の友人と会うということで、新しい体験がかなりたくさん待っているという特別な旅行になりそうで、いろんな感情になりよい意味で、少々心が騒がしい。



最近少しずつ親子で新しい幼稚園にも慣れてき慣れたなあと思っていて、慣れたと思うなら適応もしていることじゃないかなあ、と思いながら、というのも、息子がわたしの姿を一番悟っている鏡のような気もしている。

 

ふだん新しい人に出会うときには、なるべく無理して話しかけることもなく、それでも変な思い込みや距離感は作らないように適度に接しようとする。それでも苦手なものは苦手であるのは変わらない。きっと、内向的だからだろうけど、それでも人と話すことは好き。それでも、誰かとむやみに話すことが好きではなかったり。すぐに打ち解けることもなければ、時間をかけてその時のタイミングで、気が合うのであれば、話すという感じ。

 

そう考えてみれば、子どもがいるという同じ立場、環境として話してみるのであれば、そんなに難しいことでもない。何か必要以上に自分の話す機会、技術に対して期待値を上げすぎないで。フラットに。


……こうして書いてみると、残暑が通り過ぎるように、さまざまな移ろい、いろんな出来事があって、顔がほころぶ。

 


:追伸
数日前からブログのアクセス数が増え続けていて、一体なのごとなんだろうか?と思いながら心当たりを調べてみると、おそらく記事がピックアップされたせいじゃないかという結論に至り。とにかく、読者登録してくれるだけでもありがたいことで、ありがとうございます、とお伝えしたくなりました。

ここ最近本を購入してくださるかただ多くて、共有できているのかな?偶然見かけてくださったとも思いますが、それでもほんとうになんだか嬉しいです。
個人の中では確実に面白いと思うので、読んで気に入ってくだされば、幸いです。
 Mako

 

 

 

 

幸せとはなにか|初秋を感じる

 


今の自分の人生をどう捉えているのだろうか。
よく考えてみれば、最近はあれこれ複雑に考えすぎて自分の人生という枠からはみ出して考えていた様な気がする。

 

どういう人生を送るも、自分自身で捉え直してみれば、今ある人生も自分自身である程度決めて選択しているひとつの道だ。いい条件というのはなんとなく自分の中で決めていて、その条件をどう受け入れて、工夫してなるべく楽しく生きていけるかが、大事になっている気がする。要は、捉え方なんだろうな、に結局たどり着く。

 

誰かの人生は誰かにとってはいいものであるかもしれない。それでも、それは見せかけでもあるかもしれない。その人も必死で生き、耐え抜いているだけかもしれない。幸せとは何か?は、どう定義するかもそれぞれであって、誰かとの人生を比較している以上、そんな気持ちが湧き上がってくることもあるのは、時と場合によって致し方ない。

 

それでも、考えてみれば、自分の人生そのもので起きていることである。だから、後々考えてみればいい経験ををしたし、考え直すこともたくさんあったよね、という結論に至る。

 

ひとつの自分自身で考える今であり、最善の方法を考えたり、改善したりして探している。
そして、自分にこう言い聞かせたい。
これは、間違いなく、自分の歩んでいる、歩んでいく人生だ、と。

 

 

作家によって書かれた言葉は、読む人間の力添えを必要とする。読者が想像し、目を見開き、耳をそば立て、文字の世界に没頭することを求める。

-アニー・ディラード/本を書くより

最近は、聞いてもらうでのではなく、聞くことを意識する。書くときには、没頭する。自分の言葉で書き、孤独であることについて。

書くことについても、現実から逃げ出したいこともあるかもしれない。それでも、その一場面でさえも、間違いなく自分が生きている証なのだと思いながら書く。

そう、今日見た動画も、ここ最近問う“幸せとはなにか?”について、少し考えられた。

 

最近、さつまいもがおいしい。母からもらったものだけど、このさつまいもの品種がとても気になるほど口当たりも甘さも、ちょうどいいせいか、今年のさつまいもがおいしいという印象になった。
おやつは控えているつもりだけど、こういう優しい素材のものはお腹に入る。ごく自然に。


子どもたちの縫い物をしたり、会話をしたこともたのしかったり、庭仕事をして少し癒されたり身体がみなぎったり……。こうして記録を続けてきて、blogのアクセス数や読者が増えてきていること、そして紹介した本やモノが購入されること。
通り過ぎてく日常の中に、私なりの発見はある。

何に意味を持って人生を送るか。
続けるか……
果てしなくありそう。

 

 

 

 

Netflixでハリーポッターを観るのにハマる最近の備忘録

 

 

最近少しばかり余裕がない。気分のアップダウンがコントロールするのが難しい。ホルモンバランスのせい?うん、きっとそれもありそう。

今日は祝日。子供達との休みも最終日だった。それなのにどこにも連れて行ってあげられやしない…まったく申し訳なくて、役立たずな母親だとしか言いようがない……。そう考えれば考えるほど自己嫌悪に陥りやすくなるから、ここまでにしておく。よく考えてみればよくやった。今日は、午後から天候が悪くなり、雨風がすごかった。駐車しているカーポートの柱をとっていたために、柱がなくて最悪な結末になるのではないかと心配になり、ひどい雨風のなか手こずりながら設置した。おかげでびしょ濡れ。それでも、夫がいない最中でまたできることが増えている。いままでできることが少なかったから。無知なりに色々学んでいる。子供たちも母が奮闘する応援団として外ではしゃいでいたため、びしょ濡れ。みんなですぐシャワーをした。身体が次第にあたたまり、さらに温かいお茶を飲んだら気分は良好に。

x.com

しかし、天気が悪い。なので、大人しく家で映画でもみることに。それでも、いい気分だ。ハリーポッターを観たから。観ていると、いろいろ考えさせられる。日々の暮らしについて考えることが多々ある。そういったことを振り返りながら、内観する。ハリーポッターは、そういう感性を高めてくれる。なんだか考えることがいろいろある。

 

作家によって描かれた世界観は、ときに現実へと役立ててくれる。力を添えてくれる。背中を押してくれる。そういう力がある。ある一つの出会い、事柄によって。それでも、それ以降は自分自身で考えねばならない。それでこそ、ひとつの扉が開く。

 

静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。
だが、それこそ、考えるということではないか!

- ニーチェ -

 

まさに、今日はそんな状態だった。

考え直してみることが渦巻いている。天まで届くように。右肩上がりに向けて考えてくことは、まだまだありそう。

 

 



 

愛する空間、生活、部屋について

 

 

ハリーポッターの余韻がまだ続いている。

あの世界観から受けるインスピレーションがかなりあるようで、あれこれ創造性が高まっている。それでも、まだ整理はつかない。わかることといえば、今のようにハリーポッターを観て気分が高揚したり、ふだんの生活とのエネルギーをコントロールしたりするバランスは必要であること。

 

魔法の世界観みたいにインテリアから自分好みの世界観に工夫してみれば、新鮮でいい空気感を自分の方へ運び込むことはできる。部屋は大事だな、とつくづく思う。それによって、日々どんなことがあろうとも、家に帰れば気分が落ち着いたり、楽しいことが待っていたり、内観することもできる。

 

自分自身の世界観を高めてくれるアイデアは、常に更新が必要だ。それらは、自分自身の生活に加えたり、組み直したりする必要がある。

 

 

 

SNSを見る時間が確実に減ってきている。

見るとしたら、主に自分のブログかn o t e、またはTwitterのアカウント。それについて記録すること。

あとは、Twitterで偶然おすすめ表示されてくるものでその人の世界観が私にとって感化されると思えば、フォローする。最近は、ごく稀だ。それか、見つけるのが下手くそなのか、もしくは、探す気がないのか。

そして、気になった事柄を調べてみるくらい。

 

つまりは、余裕のある余白のある考えを常に確保できるくらいに生きてくのがいいなと思う。それは、自分自身で扱っていかなければならない。最近は、ただお腹が満足するものを食べ、眠っていられるだけで十分に忙しいし、充実するし、そこに集中していきたい。

そうしなければ、余計なことに気を取られてしまいやすいものである。

生活を整える、満たしてくれるスムーズな方法を模索し、余裕が生まれれば、自分の好きな時間になるべく割きたいものである。それでも、自分自身を内観する時間は必要だ。

 

すべては、自分自身がなにかに一生懸命になれたり、愛する時間に動くことこそに、人生が実っていくのだと思う。自分だけの視える世界が。そんな世界観は、つまるところ、個人だけのフィルターを通してみえることに、ほかならないのだと。

 

 

最近は、ハリーポッターみたいなヴィンテージみたいな個人的な感性を開いてくれるような、ちょっとしたファンタジー的な空想的でもあり創造的な感覚が芽生える部屋を飾りたい。そういったものを揃えていきたい。

自分にとって愛する空間、生活、部屋を。

 

 

 

心が疲れているときには、夜読書がしたくなる。読書に没頭したくなる。自分の時間を作るために。忘却ではない。考え直すために。お気に入りの本を読みたい。








 

 

おもしろい本、最近の生活観

 

 

 

 



 

お気に入りの本を何冊か、その日の気分や心境に合わせて行ったり来たりさせて、読む。珈琲をテーブルに置きながら、本を開くと、あれこれ考えが浮かんでくる。いろんな考えに惑わされながら、家であれこれしながら読んでいると、時間はあっという間に過ぎていく。

 

集中する時間はあっという間だ。それの伴って苦痛に感じてしまう時間もなんとか集中する時間に変えてみることは、少なくとも個人の中で、よい時間に変わる。

 

 

 

最近は、アニーディラード著:「本を書く」が読みたくなる。

 

 

ちょっと気になる文章を繰り返し、くり返し読み返してみて、少しずつ少しずつ、考えを凝らしてみる……。すると、少しずつ頭の中が自然と渦を巻いてきて、次第に心がジーンと温まってくる。そして、ぽろぽろと思いが溢れ出てくる。その中から、考えをぼんやりと見出し、自分の中の美を見出す。いろんな本を読んで、学んで、みて、経験して、考え直してカタチ作られてくように、思い出しては、また忘れ、また思い出す……そんな記憶の片隅にあることが変容を繰り返す。そうして、少しずつ自分と向き合うようになっていく。

 

そんな瞬間がおもしろい。感慨深くなる文章は、何度読んでもまた新しく感じる。その本の文章には、個人の世界観、個人だけが愛する時間がある。それがまた、心地よい。

 

「言葉は他の言葉へと導き、庭の小道を下る

」──

 

 

「書くとき、あなたは言葉を一列に敷く。並び置かれた言葉は坑夫のつるはしである。彫刻家の丸のみ、外科医の探り針である。あなたはそれを駆使して道を敷き、その道をたどる。しばらく行くと、自分が新しい領域にいることに気がつく。そこは行き止まりだ。いや、それとも手堅い主題を掴んだのか。それは明日わかるだろう。いや、今回は来年にならなければわからないかもしれない。」

 

 

 

──最近はとくに、この本のこれらの文章この前後にある解釈を読み返すことが、気に入っている。

 

 

この本にしか書かれていないおもしろい言葉は、他にもまだたくさんある。こういう本は、いつまで経っても読み終わる気がしない。

 

 

x.com

x.com

___

 

消費するものをどうせ捨てるなら代用品として使って一役立たせてから捨てるようにしている。牛乳パック、ヨーグルトのプラスチック容器、買った時に包装された袋などをそれらに使用してからのこと、キッチン周りに使う処理用袋は、購入うする必要もなくなり、ストックも貯まっていくようになった。

 

牛乳パックはだし汁用として一回使用してから捨てるか、ボウルか鍋に浸しておいて、そのまま使用する。そうすると、わざわざ別の容器を買う必要もない。

 

 

ここ最近、ゴミ捨てが週1に減る日も出てきた。洗い物もゴミも削減すると、何かを我慢して、節制した後にあとで他のものに替えられるということは、気分も満たされる。そんな思いで、過ごしている。

 

 

──────

 

韓国の友人への手土産を選んだ。

お気に入りの店や、雑貨屋に向かうとどうしても物欲が出てしまうけれど、よくよく気をつけたい。部屋に飾って見た目も実用性も兼ね備えなければ、買わないようにして。

手に取りやすく、かつ、見た目もオブジェみたいに生活に馴染んでいくものがいい。

 

長年愛せるものが揃っていくことは、それなりに自分の生活観が整ってくようにも感じられて、心底心地がよいものだ。気にいるインテリアであれば、そのものがたとえ置いてあるだけでも、まるで頭の片隅に置いてあるような大事な価値観であるようなもののような気がしている。